FC2ブログ
未分類 | 
Graphical Clock neon
Graphical Clock
ioi.toot
最近のコメント
カレンダー
08 | 2019/09 | 10
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
リンク
追越ノート―「ここ」から世界へ
≪2019.08  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  2019.10≫
プロフィール

TAKESHI

Author:TAKESHI
下田にて

最近の記事
月別アーカイブ
2006.06.23 Fri
中田が残したもの

今朝の6時、日本代表のドイツワールドカップ2006は終わった。
大学の政治教官討論室で、みんなで一緒に試合を観た。外はもう明るくなっていた。

試合開始前、ブラジルの選手と親しげに話していた中田。
ハーフタイム終了後ピッチに出てくる時、前半のロスタイムに日本に同点弾をたたきこんだロナウドと親密そうに会話をしていた中田。

そんな彼の姿を見たとき、オレは激しい失望感をおぼえた。

紙面上でさんざん云われている「中田に足りないもの」を見た気がした。

もちろん、それによって試合中の彼のプレーが鈍ることはなかったし、試合開始(再開)のホイッスルがなったとたん、彼は別人のように勝利を目指してボールを追いかけた。

そうした相手選手との親しげな会話や雑談が、彼のプレーに負の影響を及ぼすということはまったくない。中田はそういう面で、厳しく自分をコントロールすることのできる人間である。

しかし、問題はそれを見て他のチームメイトがどう思うかということである。あれだけ云いたいことを云い、時には容赦なく苦言を呈してきた。ただ、日本代表というチームを勝利に導くために。しかも、サッカーの上手さという点では、中田には十分チームを率いる素質があった。しかし、中田と他のチームメイトとの温度差は、最後の最後まで最小限に縮まることはなかったように思う。

その原因が冒頭のような場面にあるのではないか、とオレは思う。ロナウドと親しく話せる中田を見て、ロナウドと親しく話せない他のチームメイトは、どうしても彼との距離を感じてしまうだろう。

そう、中田には「キャプテンシップ(captainship)」が微妙に欠けている。

野球のWBCで日本が世界一になったときから、イチローと中田のキャプテンシップがマスコミに比較して取り上げられるようになった。「中田もイチローになってほしい」という川淵キャプテンの発言から始まって、今日のニュース欄には、「イチローになれなかったヒデ」という見出しが載っていた。

たしかにWBC(特に後半戦の)のとき、イチローと他のチームメイトとの気持ちの温度差は全くといっていいほどなかった。まさに積極的な意味での「チーム一丸」だった。そしてそれが、日本が世界一を勝ち取ることのできた一番の要因であったとオレは思う。しかし、だからといって中田とイチローを比較してどうこう云うのは、実に幼稚でくだらないことだと思う。

イチローが中田になれないように、
中田もイチローになれやしない。

イチローにはイチローの「スタイル」があり、
中田には中田の「スタイル」がある。

それを何とか「一体化」させようというところに、日本人(あるいは日本のマスコミ)のつたない思考様式がうかがえる。ただ、イチローにはチームメイトとの温度差を最小限に縮めてチームを率いていくだけの「キャプテンシップ」があったのは事実である。


きょう日本代表がワールドカップに破れたその時点で、そこから代表選手へのバッシングは加熱するだろう。そして当然、中田への非難も集中するに違いない。

「中田はイチローのようには変われなかった」

それは結局そのとおりなのかもしれない。しかし、それを云うのなら、「変われなかった」のは中田だけではなかったはずだ。他のチームメイトもそうだった。中田だけを「変わるべき」存在として、日本代表の惨敗のスケープゴートとして非難することに、一体どれほどの意味があるというのか。少なくとも日本サッカーの将来にとって。

中田のいない日本代表の試合を想像してみてほしい。なんの面白味もないごくフツウのサッカー。観ないほうが眼の保養になると思う。しかし、中田が入ることで日本代表はあきらかに一変した。はじめて日本代表の試合を観たいと思った。いや、「中田の」試合を観たいと思った。そう思った人は、きっと少なくないに違いない。それほどまでに、中田は日本代表にとって重要な存在だった。

だからこそ、
中田が「変われなかった」のを嘆くのではなく、中田の欠点を非難するのではなく、
「中田が残したもの」を、日本代表の選手を始めとして日本のサポーターは見るべきではないのか。

次のワールドカップ、もう中田はいないのかもしれないのだから。

本当に「変わるべき」存在は、

中田ではなく、
日本代表であり、
日本のサッカー界であり、
日本のマスコミであり、

わたしたち自身であるのかもしれない。



未分類    Comment(0)   TrackBack(0)   Top↑

Comment

管理者にだけ表示を許可する

Top↑

TrackBack
TrackBackURL
http://teamoterere.blog59.fc2.com/tb.php/29-cb28f330

Top↑