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2009.03.26 Thu
折れない心(WBC2009)
20090324_108020[1]

延長10回、2アウト、ランナー2、3塁、バッター「イチロー」、早々と2ストライクを取られ、ワンバウンドしそうな地面スレスレの球を彼が「かろうじて」ファールにしたあと、僕はリモコンの『消音』ボタンを押し、全ての雑音をシャットアウトした。

もう、見ていられなかった。心臓がいくつあっても足りないような歓喜と絶望、絶叫と溜息の瞬間を、その一試合でこれでもかというほど経験し、またも訪れたその瞬間に、それに耐えうるだけの強い心を僕は持っていなかった。

天に祈るような気持ちと、あきらめの気持ちが少し入り混じった複雑な心境の中、彼の振りぬいた打球は真正面の相手ピッチャーの頭上を鋭く抜け、TVを観戦する自分(視聴者)の心を「ヒット」した。僕は知らずに泣き崩れ、体の奥底から込み上げる熱いものと一緒に大声でシャウトした。夜中の2時をまわった、サントドミンゴ(ドミニカ共和国の首都)の片隅で。

2009年3月23日、ロサンゼルス・ドジャースタジアムで行なわれた、韓国代表VS日本代表のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)2009決勝は、正に「死闘」と呼ぶにふさわしいものだった。

映画だった。

いや、それ以上だった。

WBC第1回大会で日本代表を優勝に導いた「イチロー」は、日本中の期待を背負い、もちろんドミニカ共和国に住む「いち」日本人の期待も背負い、世界中の野球ファンから注目されたが、決勝に至るまでの彼の成績は、日本代表を応援する人たちの期待を裏切るのに十分なものだった。

18日、キューバとの第2ラウンド敗者復活2回戦で見せた、一打チャンスでの痛恨のバント失敗には、正直失望するしかなかった。試合後、イチローはこう云った。

「あのバント失敗で、ほぼ折れかけていた心がさらに折れた。僕だけキューバのユニフォームを着ているように見えた」

だが結局、彼の心は最後まで折れなかった。いや、折れることなく「苦しい」自分に無言で耐え忍んできたからこそ、あの延長10回表のセンター前ヒットがあったのだと僕は思う。腐れず、投げ出さず、決して諦めず、そんなクサイ言葉をあの大舞台で体現して見せたイチローという漢には、ただただ感服する他ない。

そういえばこのブログは、ちょうど3年前、WBC2006に関する「決戦前夜」という記事から始まった。あのとき、日本代表がWBCで優勝した瞬間、僕は夢を見ているのではないかと疑った。そしていまは、できすぎた映画を見ていたのではないかと半信半疑だ。

日本代表が2回連続の優勝を掴み取った次の日、ドミニカ共和国の新聞は、主要3紙とも日本のWBC優勝が一面を独占した。イチローの大きな写真が掲載された。『イチローはヒーロー』と大きな見出しが載った。

ここドミニカ共和国には「コルマド」と呼ばれる小さな商店がいたるところにあり、毎昼毎晩ドミ人はそこにたむろしてビールやラム酒を喰らい、「ドミノ」をプレーし、メレンゲを聞きながらみんなでワイワイガヤガヤやっている。WBCの開催期間中は、スクリーンとプロジェクターを用意して観戦するコルマドも多く、ウチの近くのコルマドもそうだった。僕はほぼ毎日そのコルマドでドミ人と飲み、語らい、ここ数週間は当然WBCの話題で持ちっきりだった(しかし、ドミニカ共和国は優勝候補筆頭と云われながら、信じられないことに第1次ラウンドでオランダに2回負け、敗退した)。

毎回毎回日本が勝つたびに、僕が熱狂的にその勝利を語るため、アンチ日本の奴が日に日に増えていき、いつの間にかそこは僕と日本の完全なるアウェーと化してしまった。決勝も、韓国を応援する奴が多く(別に韓国に特別な思いがあるわけでなく、ただ日本が敗退して僕をギャフンと云わせたかっただけだ)、毎晩僕とコルマドのドミ人全員との間で野球論のバトルがバチバチ展開された。いまとなってはいい思い出だが、負けていたら本気で立つ瀬が無かった。

日本が優勝した次の日、いつものようにコルマドにいくと、そこにいた奴ら(30人くらい)が、「ハポン!カンペオン!!!(ニッポン!優勝!!!)」「フェリシダーデス!!!(おめでとう!!!)」「イチロー・スズキ!!!」といって拍手と歓喜の嵐で僕を迎えてくれた。奴らがはじめて「日本の野球」を認めてくれたのが、正直、うれしかった。僕は立てつづけにプレシデンテ(ドミ共産ビール)大瓶2本とキューバリブレ4杯をおごってもらい、そして奴らと至福の時を過ごした。

もう誰も「日本の野球」の強さを疑うものはおらず、話題は「ドミニカ共和国代表の将来」と「2013年第3回WBC」にも及んだ。奴らの間では、「ニホンとカンコクのベースボールを見たか!あんなに組織化され、規律化されたチームに、お祭り気分のドミニカが勝てるわけがない。ランナーが出たらすかさず盗塁してくる、まったく「スキ」のないベースボールをする」「彼らのベースボールは完璧だ。ミスがない」「あの世界最強のキューバが、ニホンと2回戦い1点も取ることができなかった。それが信じられない」「ドミニカにもキューバにも、ニホンとカンコクのような素晴らしいピッチャーはいない。ピッチャーが一番重要だということが、この大会でよく分かった」など、ガチな意見が次々と飛び交った。

僕は、今大会中ほぼ日本代表しかやっていなかった、バントで「つなぐ」という戦術の愚直な意味と、ベースボールはホームラン競争ではないという、その単純明快な2点を奴らに伝えてコルマドを後にした。

奴らはそれに黙ってうなずき、反論するものは誰もいなかった。
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