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プロフィール

TAKESHI

Author:TAKESHI
下田にて

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「 2008年01月 」 の記事一覧
2008.01.31 Thu
『フラガール』
060923_hula-girl[1]


遅ればせながら、映画『フラガール』を観た。
よかった。
いい作品だった。

映画『天使にラブソングを・・・』で、ウーピー・ゴールドバーグ扮するシスターが云ったコトバを思い出していた。

「教会がつまらない・・・?!だったら面白くすればいいのよ」
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2008.01.29 Tue
大相撲千秋楽



「力士たちは、桃色の若い巨人で、シクスティン礼拝堂の天井画から抜け出して来た類稀(たぐいまれ)な人種のように思える。或る者は、伝来の訓練によって巨大な腹と成熟しきった婦人の乳房とを見せている。いずれのタイプの力士もまげを戴いてかわいらしい女性的な相貌をしている。不動の平衡が出来上がる。やがて足が絡み、帯と肉との間に指がもぐり込み、まわしのさがりが逆立ち、筋肉が膨れ上がり、足が土俵に根を下ろし、血が皮膚にのぼり、土俵一面を薄桃色に染めだす」(Cocteau 『八十日間世界一周』)

1936年5月に大相撲(双葉山の時代)を観戦したフランスの詩人、ジャン・コクトーの一節である。「シクスティン礼拝堂」というのが西洋人のコクトーらしいが、「薄桃色」とは実に言い得て妙である。異国人の文化を捉える眼はときに恐ろしいほど的確だ。コクトーは相撲の立会いを「バランスの奇跡」と表現した。そして土俵一面が「薄桃色」に染まるのである。

おとといの大相撲千秋楽の相星決戦は、まさにコクトーの描写に相応しい取組ではなかったか。大相撲史に残る一戦ではないか。これまで、千代の富士の戦いや貴乃花と武蔵丸の相星決戦なども見てきたけれど、これほど興奮した取組はなかった。小泉流に云えば、「感動した!!!」ということになるだろうか。前日から楽しみで仕方なかったし、取組前はテレビの前で文字どおり「手に汗握っていた」。

前日のフットボール日本代表VSチリ代表の試合は、つまらなくて途中でテレビを消した。もう日本代表の試合は観る気がしない。それに比べて、いま大相撲は面白い。その理由は、朝青龍の問題によるだけではない気がする。

「がちんこ」というコトバがある。いまでは一般に使用されるが、実は相撲用語である。力士同士が立会いでぶつかる時に、ガチン!と音がすることに由来する。そこから派生して、「真剣勝負」という意味で使われるようになった。私はがちんこの試合が好きである。がちんこでない試合は好きでない。スポーツの魅力はがちんこではないか。その日、私は「久々に」がちんこの試合を観た気がした。仕切り直しから、両力士の気迫十分といったところか。

立会いで両者まったくの互角。ガチン!と凄まじい音がする。両者の力相撲を観ていて、山が動くのではないかと本気で思った。そして土俵は、薄桃色に染まった。

結びの一番が終わり、私はぐなんぐなんに草臥れていた。私はいまも朝青龍を贔屓しているが、白鵬が勝ったからといって悔恨の念はまったくなかった。両者の取組はそうした次元をはるかに超えていた。さながら、コクトーの一節でさいごを締めくくろう。

「突然、無敗者が藁ほどの隙を見つけ、過失に乗じて均衡を打ち破る。(フラッシュの)マグネシウムがはじけると、人間の橋の支柱の一本が飛んで、仰向けに崩壊し、敗北がもたらされた」(Cocteau 『八十日間世界一周』)

【参考文献】
コクトー, J. 1980 『ジャン・コクトー全集』 東京創元社。
西川正也 2004 『コクトー、1936年の日本を歩く』 中央公論新社。
周防 正行 1992 『シコふんじゃった。』(映画) 東宝。

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2008.01.27 Sun
大相撲一月場所
朝青龍


おととい(2008年1月25日(金))、両国国技館に大相撲一月場所十三日目の取組を観にいった。ずっと以前から、生で見てみたかった。

午後3時頃、両国駅に到着。力士飴を買って両国の街をぶらぶらする。時代を感じさせる家や店が多く目につく。力士の銅像が通りにいくつもある。「大関庵」という古めかしい蕎麦屋に入る。たぬきそばを一杯食らう。これがうまい・・・!汁に醤油だしがするどく効いている。いままで食べた蕎麦の中で3本の指に入る。店の中はこぢんまりとしていて味がある。そこの親爺もなかなかだ。

腹を心地よく満足させてぼちぼち国技館へ向かう。沢山の人。浴衣姿の力士ともすれ違う。おっきい。中に入ると、ちょうど十両の取組が終わったところだった。相撲をとる館内は天井が上に高く、薄朱色の明かりが1階から2階にかけての会場席をまんべんなく照らしている。下に見える中心の土俵がぼんやりとあかるく、しかしくっきりと浮かび上がっていた。

オレが取ったのは2階イスC席。一番安いクラスだ。だが2階席はまばらに空いていたので、前方の2階A席に座る。幕内の取組が始まった。

力士はおっきい。2階からでも十分だ。中央の土俵上で力士同士がぶつかりあう時、目の覚めるようなするどい音がする。力士がまわしを叩く音も館内によく響く。力士が土俵際で「残った」りすると、館内の観衆に重厚などよめきがおこる。それは観ている者を飽きさせない。

とくに観衆が沸きあがったのは、高見盛(たかみさかり)の土俵入りだ。永谷園の懸賞が5つくらい彼にかかっている。永谷園の幟を持った人が土俵をゆっくりと廻る。会場が盛り上がりをみせる。高見盛は制限時間いっぱいで土俵際に戻り、胸をバチバチ叩いてフン!フン!!フン!!!と地面に向かって気合を入れる。その時、観衆も彼の気合入れに合わせてハイ!ハイ!!ハイ!!!とかけ声をかける。そして大きな拍手が起こった。

稀勢の里の土俵入りにも会場は盛り上がる。仕切りの時に「キセノサトー!!!」と叫ぶ人が多い。しかし、注目の目玉は何といっても朝青龍だ。朝青龍と琴光喜の取組。琴光喜を励ます声が会場のいたるところから飛ぶ。

朝青龍の顔はいつもと変わらない。その仕草は威風堂々として横綱の名にまったく恥じない。ひとことで云って、かっこいいのだ。相手が動くのを待ってゆっくりと動く姿や、肩をぐるりと回す仕草。制限時間いっぱいで観衆に向かい、左手を斜め上に大きく振りかざして渾身の力で黒いまわしをぶっ叩く。ドスン!!!という快音が館内に響く。顔を拭いて塩をつまみ、右の腕を口に当てる。その時の彼の顔は、まさに鬼の形相だ。場内の盛り上がりは最高潮に達する。野次が飛ぶ、励ましが飛ぶ、座布団に手をかける。会場全体に緊張がみなぎった。

結果は周知の通り。土俵際に追い詰められた時の横綱のふんばりは、あっぱれだった。次の白鵬も魁皇に土俵際に押し込まれた。取組と露払いが終わって会場をあとにする人たちには、「いやー・・・!きょうの取組はよかったねー・・・!」と云っている人や、「ちくしょ¬ー!!!あしたは絶対に朝青龍負けるよ!」といっている人などがいた。朝青龍の負けを期待する人はやはり多いようだった。

オレは朝青龍が大好きだ。
強くてかっこいいから。

彼の踏ん張りと勝利は、いまのオレの大きな励みになっている。彼が相手を思いっきり投げ飛ばした瞬間、オレは知らずに手が痛くなるほど拍手していた。胸の内で「ざまーみろ!!!」と叫んでいた。誰に対してかはよくわからない。彼は勝ち方がさすがだし、負け方も華やかだ。そんなところが気に入っている。

いま、彼のまわりは騒然としている。モンゴルから帰国した際の記者会見で、記者から「強ければ何をしたっていい、という姿勢が見られると思うのですがどうですか」と詰問された。彼は云った。「やっぱり強くないと」。そのとおりだと思った。

彼は土俵の上で反則をしたわけじゃない。亀田大毅とは違う。「ヒール」というコトバも安易すぎて大嫌いだ。彼はヒールなんかじゃない。大体なんで横文字使うんだよばかと云いたい。

『横綱の品格』や『女性の品格』。「品格」とはいったい何だろう。極めて曖昧だ。日本人が好きそうだ。でも悪くはない。きっと大事なことだろう。でも、もし彼に品格が欠けると云いたいのならば、品格のある日本人力士が横綱になってその品格とやらを見せ付けてみたらどうだろう。

強い力士を目の当たりにして「強くない」と言い張ることはできても、それを腹の底から思うことはできない。品格は曖昧だが、「強さ」は明快だ。

朝青龍の湯呑みを買って帰った。
そしてきょうが千秋楽である。


※上の写真は、最近買ったニコンの一眼レフで撮影したもの。

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2008.01.19 Sat
空港にて



『空港にて』(2005 文春文庫)という村上龍の短編小説集がある。
「他人と共有することのできない個別の希望」を描きたかったと、筆者自身が語っている。

この前、成田山に参拝に行ったとき、参拝が終わったあと、成田空港へ行った。
もう何度も来ているが、何度来ても新鮮な感じがした。

高校生のとき、私は佐倉の高校だったので、最寄りの佐倉駅から成田空港第2ターミナル駅までは、特急で2駅だった。そして高校生の時、定期券を使ってよく乗り越しをした。部活を終えたあとに、週に5日は乗り越していただろう。西馬込や上野に乗り越すこともあったが、何といっても成田空港が一番多かった。もちろん、意図的に、である。ときに、乗り越し料金を払って空港を見学した。何だかわからないが、乗り越すことと、空港に魅せられていたのだ。

大学生になってからも、実家に帰るたびに、空港へ行った。
そしていまも変わらない。

エスカレーターで上の発着ロビーに行く。航空会社のブースが沢山並び、人のあかるいざわめきが聞こえる。椅子に座る。視界に映るさまざまな光景を、ただただぼぅっと眺める。1時間くらいか。異国から帰ってくる人と、異国へ旅立つ人の顔は、見ていて飽きない。

五番街をぶらぶらするのも面白い。五番街自体も面白いが、五番街で買い物をする「人」を見るのが好きだ。彼女はこれからどこへ旅立つのだろう。

連絡バスで第1ターミナルへ行き、第2とは違ってすっぽりとしたロビーに落ち着くのもいい。椅子に横になってしばし寝てみる。そのあと、展望デッキで飛行機が動くのを見るのも悪くない。

――私は空港が好きだ。

異国へ行った時も、出発の何時間も前に空港に来てたたずむ。
空港は、その国の色を表わしていながら、他の国のそれに共通する何かを持っている。

“なんでもある”という賑やかさと、
“自由な”空気が、私を好きにさせるのかもしれない。

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2008.01.17 Thu
成田さん
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きのう、遅ればせながら初詣に行った。
いつもの成田山。

新勝寺に新しい門ができていた。
海外にいた時を除いて、1才の時からこれまでずっと、家族と一緒に成田山に初詣してきた。

紅白が終わらないうちに実家を出て、「除夜の鐘」を聞きながら年明けを寒い寒い「真夜中の成田山」で迎える。

大晦日から元日にかけて、真夜中の成田山は「群集」で「ジリジリ」としか前に進めない。そして必ずどこかで「喧嘩」が起きる。それも毎年の名物だ。ジリジリ行く途中で「うなぎ屋」がある。そこの「うなぎ屋」は店頭でウナギをさばいている。いまも変わらない。新勝寺の「急な」階段を登る。階段の途中でうしろを振り向くと、下に黒い人、人、人、の動く塊。みんな寒そうだ。登ると、目の前には、「煙」がある。その煙の中に、親から無理やり頭を突っ込まれる。「賽銭」は、前の群集がいっぱいで前の方に行けない。だから少し離れた場所から15円を遠くに投げ込む。ガラスに当たってカチン!と音がする。「お守り」を買う。

参拝が終わると、こんどは「急な」参道をぐんぐん登っていく。そこに「米屋」がある。人でごったがえす米屋に入り、「そば」を食う。もう年は明けているから、年明けそばだ。「大納言」と「不動餅」を買って、来た参道を下る。坂の終わりころにある、「川村なんとか」という漬物屋でみどりの漬物を買う。看板を持った「キリスト教の人」が何か云っている。彼はいつも元旦にいるなぁ。大変そうだ。

帰りの「車中」で眠りに落ちる。ウチで寝ておきたら、「朱」の器に入った雑煮が出てくる。中にはかまぼこと鴨肉と三つ葉と、餅が3枚は入っている。そんなに「餅」は食べられない。「お年玉」をもらったあと、親父と千葉に「寅さん」を観にいく。

しばらくして・・・。

寅さんは死んじゃった。
米屋の食堂はちっこくなった。
でも、あのうなぎ屋と漬物屋はいまもある。

新勝寺のおみくじは「吉」がでた。

成田山は、成田「さん」だと思ってた。
子どものころ。

吾、なんと日本人なる哉。

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2008.01.15 Tue
ブログとか。
Paraguay2006-4 036


ずっと更新できなくてゴメンナサイ!
みなさん申し訳ないです・・・。

こういうブログの始め方がオレは嫌いだ。
というより、すごく異様だ。
気持ち悪い。

彼らはいったい誰に向かって話しているのだろう。
誰もお前の更新なんて期待してないよ。

最近、ブログが一般の人に浸透している。
ブログをやる人が多い。
「ブログの女王」なんて呼ばれている人もいる。
ブログはいまトレンディーなのかもしれない。

オレがこのブログを始めたのは、「ヒマ潰し」のためだった。
それはいまも変わらない。
ようは片手間なのだ。
いや、片手間にもならない。
そんなクダラナイものだ。
こんなのには、オレの100分の1も載っていない。

ブログが生活のすべてあるいは中心、という奴はみんなクソみたいな人間だと思う。

最近では科学技術が進化して、個人で電子メディアを比較的自由に使えるようになった。「メール」しかり「ブログ」しかり「インターネット」しかり。浸透力は相当なものだと思う。いや、実際相当なものだ。「2ちゃんねる」の影響力なんてこれまでによく話題になった(オレは見ないけど)。電子メディアの利点は、個人のメッセージ(情報)をより多数の人に広範に伝達できる点だ。ではデメリットは何か。

情報に「深さ」がない点、だとオレは思う。
情報の深さ、これはコミュニケーションの上でとても大事なことだ。

「メールよりも手紙」、「手紙よりも実際に会うこと」の重要性は、電子メディアが一般化した現代において、逆説的に高まっているように思う。

いまの時代、バーチャルを駆使することは小学生にでもできる。
情報は、ネットを開けば誰でも手にすることができる。

だが、深い情報は「足」を使わなくては絶対に入手することはできない。
ということを、オレは修士論文の創作にかかわる一連の作業の中で改めて実感した。

深い情報を求めつづける人だけが、どんなに時代が変わろうとも、自分を変えずにいることのできる人

オレはそう思う。

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