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「 2007年10月 」 の記事一覧
2007.10.04 Thu
ベルリン・シュターツカペレ


きのう(10月3日)の夜、サントリーホールで公演された、ベルリン・シュターツカペレのコンサートに行ってきた。今年の8月に座席を予約をしておいた念願のコンサートだった。


 


ベルリン・シュターツカペレ、別名、ベルリン国立歌劇場管弦楽団は、1流のオーケストラではない。


超1流のオーケストラである。


 


しかし、何といっても注目に値するのは、指揮者の


ダニエル・バレンボイム 。


 


彼は、1942年ブエノスアイレス(アルゼンチン)生まれのユダヤ人である。そしてなんと、あの『オリエンタリズム』を執筆したエドワード・サイードと親友であった(共著あり)。バレンボイムは、そのカリスマ性を備えた指揮ぶりによって、かつて「帝王」と呼ばれたヘルベルト・フォン・カラヤンの後継者であると言われている。いま、世界で最も注目を浴びる指揮者の1人である。


 


お題目は、


 


リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」


ベートーヴェン:交響曲第5番 『運命』


 


夜7:00開演。会場はもちろん満席。オレは22000円のS席の9列目6番の席に座った。ステージから6メートルほど離れたやや左寄りの席で、あらゆる面でオーケストラの鑑賞に最も適した席である。オレはただ、最高の音楽を最高の席で聴きたいだけだ。(ちなみにサイトウ・キネンのチケットは、A席25000円で落札した)。


 


そして演奏・・・。


 


『ドン・キホーテ』は、ヴィオラの独奏が多い。そのヴィオラ独奏者の演奏が、これまた聴衆の心に強く鋭く響いた。そして、独奏している時のその表情のなんと美しいことか!曲が終わって、拍手の嵐。ヴィオラ独奏者はオレたち聴衆に向かって、「どうだ、みたか」と言わんばかりの堂々とした態度で慎やかに礼をした。彼はその後、ステージを去ってはまた戻ってくるの繰り返しで、計4回もステージの中心に引っ張り出されて挨拶させられることになった。聴衆が、拍手の称賛の嵐を止めないからである。オレは、オーケストラ・コンサートのこういうカスタムが好きだ。


 


そして、20分休憩のあとの、ベートーヴェン:交響曲第5番。ちなみに、これは標題音楽ではない。つまり、ベートーヴェンは『運命』という標題に基づいてこの曲を作ったのではない。この曲が完成した後、弟子のシントラーに「冒頭の4音は何ですか」と聞かれたところ、ベートーヴェンは「運命はこのように扉を叩く」と答えたことから、日本では彼の交響曲第5番を『運命』と呼ぶことになった。ちなみに、日本以外では、『運命』という標題はほとんど用いられない。


 


そして、バレンボイムの『運命』は突然に始まった・・・。彼の指揮は、繊細でしなやか且つ大胆で、ヒトコトで言うと「威風堂々」である。彼は指揮棒を下に向けて(つまりオケを「見下す」感じで)持つことが多く、そしてそれを蛇のように操る。白い棒がやわらかくゆっくりと宙を漂っていたかと思うと、突然ビシッっときたりする。姿勢正しく鋭く指揮していたかと思うと、急に屈み腰になってからだ全体でオケの音を引き出す。そして、何度もオケを指差して指示する。あるいは目の前の第1バイオリンの顔の真近に顔をガッと持ってきたりして、オケを挑発する。やばい・・・。その挑発的で大胆で正確な彼の指揮に対して、オケも必死に全力で素晴らしい音を出さなくてはならない。いや、出さざるを得ない。見ているだけで、聴衆も彼の指揮に圧倒され、そして呑み込まれてしまう。まさにカリスマだ。


 


ベートーヴェン:交響曲第5番の第一楽章がこんなにも早く終わってしまうことは、オレのこれまでにはなかった。それは、彼の演奏が速いとかそういうことを言っているのではない。あまりにも心に強く迫ってきてかつ美しいため、時が経つのを忘れてしまったからだと思う。でもわからない。こんな体験は初めてだった。


 


そして第4楽章・・・。この演奏が永遠に終わらないことを心から願った。ずっと聴いていたいと思った。だが、どんなに美しい音楽も、残酷なことにいつかはフィナーレを迎えなくてはならない。「ファッ!」というバレンボイムの掛け声とともに、ズワーン・・・!とフィナーレを迎えた。オレの胸中は、過剰に満たされた感と寂寞感との矛盾した感情に満ち溢れていた。そう、それは文字通り、「溢れていた」という表現が似つかわしい。10万円を払ってでも彼の演奏は聴く価値がある、と思った。


 


ベートーヴェンは、ドイツ出身の作曲家だ。そして、ベルリン・シュターツカペレはドイツを代表するオーケストラである。この日オレが思ったのは、ベートーヴェンの曲はその国のオーケストラの演奏に限る、ということだ。そしてもちろん、モーツァルトは、オーストリアのオケということに。


 


悪いが、こんなのに、日本のオーケストラは勝てっこない。というより、まったく太刀打ちできない。彼らドイツのオーケストラには、自国の作曲家の作った曲を自分たちが演奏するという自負がある。ようにオレには見えた。それは、日本のオーケストラにとって、圧倒的かつ絶対的な壁だ。こんなのに比べたら、オザワとサイトウ・キネンの『幻想交響曲』は別格であるとしても、コバケンと日本フィルのベートーヴェンなんて、まるで中学校のオーケストラコンクールのようなものである。


 


この日、バレンボイムとベルリン・シュターツカペレの演奏を聴きにいった人は、これまでの音楽に対する考え方を改めねばならなかったろう。いな、改めずにはいられなかっただろう。それはつまり、


 


音楽とは格闘技である


 


ということだ。第1バイオリンと第2バイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ハープ、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーン、テューバ、ティンパニと、それぞれまったく違う個性を持つ楽器と奏者が、お互いの音を激しくぶつけ合うことから音楽は始まる。しかし、それだけではただのエネルギーの混沌にすぎない。しかし、実はこの音のエネルギーの混沌が最も大事なのである。日本のオケは、このオケの「ぶつかり合い」が弱い。


 


そしてここで、オケのぶつかり合う音と指揮者の要求とが、今度はもっと激しくぶつかり合う。そして最終的には、この音のエネルギーの混沌を、指揮者がその力量でもってまとめ上げ、昇華させる。その一瞬が音楽だ。オケとオケが喧嘩し、オケと指揮者が喧嘩し、そして今度は、そこに出した音でオケと聴衆が喧嘩する。そこがオーケストラの醍醐味だ。まったなしの1本勝負である。


 


第1バイオリンと第2バイオリンなんて、腰を浮かして弦を引く姿がいったい何回見られたことか。それだけのの入れようなのだ。しかし、巨大な音のエネルギーの混沌は、偉大な指揮者でなければ、上手く昇華させることはできない。一流のオケが出す音を、一流の指揮者が振ってこそ、はじめて一流の音楽となるのである。まあ、バレンボイムとベルリン・シュターツカペレは超一流だが。


 


しかし、こういったことはいまの日本のオケにはできない。


残念ながら、「1.5流」の域を出るのは、並大抵のことではない。


 


11月にはパリ管弦楽団が来日する。同じくサントリーホールでのコンサートである。次はそれを聴きに行こうかな。お題目は、フランス人のベルリオーズが作曲した『幻想交響曲』だ。


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