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追越ノート―「ここ」から世界へ
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プロフィール

TAKESHI

Author:TAKESHI
下田にて

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「 2007年07月 」 の記事一覧
2007.07.30 Mon
「惨敗」のあとに


昨夜、「美しい国」をスローガンに掲げた安倍晋三首相の自民党が、大敗した。


一昨日、「美しいサッカー」をスローガンに掲げたオシム監督の日本代表が、惜敗した。


 


そして両指導者とも、「惨敗」のあとの続投をほのめかしている。


 


彼らの云う「美しい」とは、いったい何だったのか。もちろん、安倍首相が掲げる「美しさ」と、オシム監督の掲げるそれとは、意味がまったく違う。選挙に関しては、現在もマスコミが嫌というほど取材しているので、ここではアジアカップの日本代表について述べたいと思う。


 


まず率直に、オシム監督が掲げている「美しいサッカー」(エレガントなサッカー)なるものが、オレには「まったく」わからなかった。彼の云う「美しい」とは何なのか。そして実際、どこが美しかったのか。わからない。オレには、日本代表の試合が全試合を通じて、極めて「醜く」見えた。それは特に、自陣における緩くて危なっかしいボール回しと、限りなく消極的な攻撃とバックパスに見られた。皮肉なことに、それこそがオシム監督の云う「日本的なサッカー」なのではないかと思った。


 


サッカー史上、「美しいサッカー」が頂点を極めたことは、一度たりとてない。「美しいサッカー」あるいは「美しく勝つ」ということに最もこだわったのは、1970年代に「トータル・フットボール」でフットボール革命を起こしたヨハン・クライフ(オランダ代表)である。「空飛ぶオランダ人」(フライング・ダッチマン)と呼ばれたクライフは、欧州最優秀選手(バロンドール)を史上最多タイの3度受賞し、1974年の西ドイツ・ワールドカップでは、衝撃的なサッカーを披露し圧倒的な強さをみせた。オランダの優勝確実と誰もが思った。しかし、オランダは決勝で西ドイツに負けた。頂点を極めたのは、「美しく」華麗なサッカーをしたオランダではなく、地味で手堅いサッカーをした西ドイツだった。


 


「美しく勝利せよ」、「美しく敗れることを恥と思うな。無様に勝つことを恥と思え」といった至言を残したクライフだが、現在にいたるまでオランダ代表がワールドカップの頂点に立ったことはない。オランダが負けるのは、毎回毎回「美しいサッカー」にこだわりすぎるためである、と分析するサッカー解説者もいる。


 


オランダならまだいい。各選手の個人能力が非常に高いオランダ代表なら。しかし、日本がそれをやってどうするのだろう。「美しいサッカー」をそれなりに魅せるには、協調性のみならず、各選手の高い個人能力が必要不可欠となる。しかし、各選手の個人能力もままならずに「美しいサッカー」を目指すのは、まさに「無謀」である。


 


一昨日の3位決定戦、日本は、地味に泥臭く勝利をもぎ取りにいく韓国に、「わずかの差」で負けた。韓国は「強い」と思った。その差は「わずか」だったが、その差はとてつもなく絶対的だ。サッカーで勝つためには、必ずしも相手より「一歩」先んずる必要はない。「半歩」先んずれば勝てるのである。その「半歩」が勝敗を分けた。しかし、その「半歩」をコトバで説明するのは極めて難しい。一晩中考えた。悔しさと脱力感で夜が明けるまで一睡もできなかった。あの試合、日本代表は、今回のアジアカップの試合の中で最もいいできだったとオレは思う。「決定力不足」とか「途中交代が遅かった」とか、そういう問題ではなかったと思う。でも負けた。試合後、オシム監督は会見で「私は負けたと思っていない」と述べた。それを聞いてオレは、彼を絶対に解任すべきだと思った。


 


いまの日本代表の問題は、もっと単純で根本的なところにある。フットボール(「サッカー」という呼称は嫌いだ)の本質を理解していない(ように少なくともオレには見える)。フットボールとは、相手のゴールにより多くのボールを放りこんだチームが勝つ、ということ。そのためにまず必要なのが「美しさ」なのかどうか、よく考えてみてほしい。


 


「蹴らないと、ゴールは決められない」と、クライフは云った。



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2007.07.19 Thu
『6月の敗北の歌を忘れない』


 いまさっき、『6月の勝利の歌を忘れない』(岩井俊二監督)を観た。約4時間ブッつづけ。2002年・日韓ワールドカップの日本代表の裏舞台を綴ったドキュメンタリーで、編集も見事な作品だ。この作品を観るのは今回で3回目だ。


 


トルシエは日本代表にとって、とてもいい監督だったと思う。戦略が明確だし、何よりも勝負に対する闘争心がむき出しだった。トレーニングの時もミーティングの時も、彼はしきりに「コミュニケーションをとれ!」と選手たちに叫び続けていた。それは決して、「仲良くしろ」ということではない。「言いたいことをハッキリと言え」「感情をシッカリと表に出せ」ということだ。トルシエはそれを、当時の日本代表にとっての一番の課題として取り組んでいたし、それは現在の日本代表(あるいは日本人)にとっても恒常的な課題なのではないかと思う。


 


「市川!お前は明日から髪を赤く染めろ!!つねに殺し屋の眼をしろ!!」


 


とくに面白かったのは、第三戦のチュニジア戦が終わった次の日のミーティング。ロシアに初勝利して絶頂期を迎え、つづくチュニジア戦に2-0で勝ったあとだ。トルシエはみんなの前で「小野と中田」を指名してこう云った。「きのうのフリーキックの時2人で何を話していたんだ。何を話していたかなんてどうでもいいけど、なんであんなに長い時間もボールを蹴らずにいたんだ!ゴールから60メートルもあるし、横に市川がフリーでいたぞ!どーぞどーぞ、どーぞどーぞ(典型的な日本人のマネをする)ってやってたのか!?」「でももっと問題なのは、なんでそれを見ていて誰も小野と中田に何も云わない!!小野と中田だから!?『はやく蹴れよ!』って何で云わない!!市川、お前フリーだったのになんで声出して2人に呼びかけない!」「コミュニケーションが全くなってないんだよ!!!」


 


今回(2006年・ドイツワールドカップ)の日本代表の一番の問題は、「コミュニケーション」だったオレは思う。2002年にはトルシエがいた。選手全員に発破をかける存在がいた。しかもそれは、「監督」という絶対的な立場の人だった。ビデオを観ていればよくわかることだが、トレーニング中や休憩中など、選手はところどころでトルシエの文句を(冗談を交えながら)こぼしている。いわばトルシエは、「嫌われ役」だったといっていい。しかし、強くなるためにはそういう存在が絶対に必要なのだ。「そういう存在」というのは、厳密には「嫌われ役」ということではない。「プレーの欠点を正直に告発し、危機感をあおり、チーム全体を積極的に鼓舞する存在」のことだが、それを日本でやると、必然的に「嫌われ役」となってしまうだけだ。


 


ジーコは、監督として最低だった。あれは「監督」じゃない。中田が練習や試合を通じて、ピッチ上で他の選手たちに必死に発破をかけていたが、結局誰もそれに乗ってこなかったのだと思う。他の選手たちが悪くて、中田だけがよかったと云いたいのではない。しかし、「コミュニケーション」は極めて限りなく疎、いや最悪だった。それはまったくもって明らかだし、そんなチームが強くなるわけがない。「コミュニケーション」とはつまり、個と個の「ぶつかりあい」である。トルシエが5年前に日本代表に訴えた課題は、現在もつづいていると思う。


 


2006年(ジーコ監督)の日本代表に何があったのかは知らない。しかし、それをなかったことのように済ますのは絶対によくない。そのための4年間が実にムダなことのように思えてしまうからだ。今回(2006年・ドイツワールドカップ)の日本代表の裏舞台には、前回(2002年・日韓ワールドカップ)のように、日本サッカー協会のビデオカメラはまわっていなかったのだろうか。それとも、ドキュメンタリーとして公開できない理由があるのだろうか。いずれにせよ、ワールドカップの日本代表の裏であったことを、何らかのかたちで「残す」べきだとオレは思う。これからの日本代表のためにも。『6月の敗北の歌を忘れない』は、絶対に必要だ。



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2007.07.17 Tue
アジアカップ予選


相変らずの日本代表だ。というより、想像以上に醜いプレーだったので度肝を抜かれた。中田のいない日本代表はこんなにもクソなのか。こんなチームがワールドカップに出場するのかと思うと正直憤りをおぼえる。どこを目指しているんだお前らは・・・。


 


第一戦のカタール戦はやばかった。これまで観た代表戦の中でもワースト3に入るほどのクソ試合だった。「やる気がない」としか思えない。まったく走らない。ちんたらボール回ししてインターセプトされる。あれがプロの試合だろうか。金を払って観る価値はゼロだ。その日スタジアムに足を運んだ日本人サポーターに金を返すべき試合だった。


 


第二戦のUAE戦は、東京のアイリッシュパブの大スクリーンで観た。3-1で盛り上がった人が多いかもしれないけれど、本来5-0で勝つべき試合だった。ギネス樽生は最高にうまかったけど。


 


そしてきょうのベトナム戦。開始のホイッスルと同時にチンタラかつ消極的なボール回しが始まった。そして毎回のごとく誰も走らない!本当に毎回!!なめているのかやる気がないのか、きっとその両方だろう。観ている人に何も「伝わって」こなかったのは確かだ。得点シーンはまあまあだったが、全体的にぬるい試合だった。


 


この3戦をとおして、日本代表に対してオレが思ったことを記そう。まず第一に、「何がやりたいのかまったくわからない」。「まったく」だ。これがオシムの目指すサッカーなのか!?オレにはまったくわからない。それってどんなサッカーだ。そんなんで本当にワールドカップで通用するのか!?


 


オレがカタール戦を観ていて一番ヤバイと思ったのは、試合終了間際に同点ゴールを決められたことではない。あれは防ぎようがないし、サッカーではよくあることだ。そして、日本代表は試合終了間際によく失点する(それこそ日本らしさだ)。なぜ、あんなにも引いてちんたらやっているチーム相手に、それまでに点を取っておかなかったのか。取れなかったのか。ちんたらやっている相手にちんたら「あわせ」てプレーしていたからだ。暑さの問題なんかじゃない!(もうやめろよ気候を言い訳にするのは)


 


そしてもっとも重大な問題は、そのちんたらプレーしているのをどの選手も自らわかっていながら(わかっていなかったらもっと重症だ)、「チーム全体を鼓舞する選手が誰ひとりとしていなかった」ということだ。いまの日本代表には、「リーダー」も「司令塔」もいない。まとめる人がいない。みんなバラバラで「なんとなくまとまっている」。そして、この「なんとなくまとまっている」というのが日本人同士の典型的な特徴でもある。オレはそういうのが大嫌いだし、それを最も嫌っていたのは中田だと思う。


 


何をしたいのか、戦略の意図がまったく見えてこない。もしくは極めて曖昧だ。「なんとなくまとまっ」たチームで勝てるのは、所詮アジアレベルだ。それ以上のレベルの試合で勝つためには、明確な戦略と、それを実行しようとする個々の選手の強い意志が、必然的に必要となってくる。お前らはその先を目指しているのではないのか!?中村俊輔なんか全然キャプテンシーのある選手じゃないし、オレは川口にその素質があると思うのだが、彼は何故か「おとなしく」なってしまった。


 


ディフェンス陣は、これまた呆れ返るくらいのポンコツだ。「だまって」ボールを見ているだけで、ちっともプレスにいかない。そんなディフェンダーが「怖い」わけがない。ワールドカップの時から何ひとつ変わっていない。そしておそらく、日本と対戦するどの国も、日本のディフェンス陣が拍子抜けするくらいにヘボだということを見抜いて、戦略を練ってきていると思う。「削り」にいけ!


 


しかし、今回の3試合でもっとも気に食わないのは、高原だ。とくにきょうの試合には失望した。高原よ、お前はベトナムにジョギングをしにきているのか!?そんなプレーが、ブンデスリーガで本当に通用するのか。もし通用しないのだとすれば、なぜ格下相手だからといって手を抜く。なぜちんたらプレーするんだ。お前はプロじゃないのか。ゴール決めてニヤニヤしている場合じゃないだろ。たかがアジアで。


 


危機感を失ったフォワードは、チームにとって致命的だ。そのことに日本のマスコミもサポーターも敏感に気づいて厳しく批判するべきだが、現状は高原の「ゴール」量産に盛り上がっているだけだ。


 


 P.S.:いまからウチに帰ってコパ・アメリカ(南米カップ)の決勝の試合をみようっと。スーペルクラシコのアルゼンチンVSブラジルだ。




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2007.07.03 Tue
相田みつを美術館

 


きょう、東京国際フォーラムにある『相田みつを美術館』に行ってきた。フォーラムに別の用があったのだが、その時たまたまこの美術館を見つけたので入ってみた。


 


相田みつをについては、中学校の頃から知っているし、本も持っている。パラグアイに赴任する前に、ある人がオレにプレゼントしてくれた。


 


彼の作品について解説することは何もない。解説などできないし、感想を述べたところでそれは陳腐に聞こえてしまうだけだ。オレがただひとつ云いたいのは、ぜひ実際にいってみてほしい、ということだけだ。


 


彼のコトバが刻まれた作品をひとつひとつ見て歩いていて、思わず涙があふれてきた。滲み出る感情を抑制しようと努めるのだが、次の作品を見てまた涙があふれ出てしまった。しまいには館内の人に「大丈夫ですか」と云われ、「・・・大丈夫です」と応じながらも涙が止まらなかった。


 


過去の出来事を思い出したとか、今の自分の不甲斐なさ感じた、というのとは少し違う。ただ単純に、彼の作品のメッセージが強烈すぎたのだ。人は感動すると、思わず涙してしまうものらしい。


 


「伝わる」という次元を打ち破り、心に「響く」というよりも、心をヒシヒシと「打ちつける」作品、そしてコトバだった。人は、たかが文字にこんなにも心動かされるものなのかと思った。彼の作品はどれも、驚愕するほどにシンプルでピュアで不器用で丸はだかだ。余計なコトバや衒いが一切ない。


 


館内のショップでは、彼の作品をモチーフにしたグッズがいくつも売っている。しかし、それをみてオレは愕然としてしまった。パウル・クレーの絵の展覧会のときもそうだったが、実物とレプリカのあいだには気が遠くなるような途方もない「隔たり」があるからだ。


 


「伝わる」度合いが、両者では銀河系以上に違う。ショップをひと周りしたあと、オレは再び展覧室へともどった。たしか、パウル・クレーの時もそうした。


 


芸術の基本は「伝わる(伝える)」ことだと思う。コミュニケーションの基本もしかり。どんなコトバも、「伝わら」なければ意味がない。そしてそれは、絵がうまいとか字が上手だとか、話上手だとかということとはまったく別のことである。




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2007.07.02 Mon
WBA世界タイトルマッチ


たったいま、つくばに戻ってきた。


坂田健史のWBA世界フライ級王座統一戦を有明コロシアムで観てきた。


 


試合は全部で10試合。4回戦の試合からだんだん上の階級の試合へとなっていく。そして最後がタイトルマッチという仕組みだ。第一試合は1時に始まった。客はほとんどいなくてガラガラ。でも、本気と本気のぶつかり合いはやっぱり見応えがある。


 


第6試合と第7試合は、女子ボクシングだ。ロシアのチャンピオンと準チャンピオンが日本人の女子ボクサーたちと公開スパーリングをした。正直、いまいちだった。


 


第8試合は、牛若丸あきべぇの公開スパー。彼は最近まで亀田兄弟と一緒に練習していた選手だ。だからと云っては何だが知名度はある。そして、だからと云っては何だがやはり無名のボクサーとの煮え切らない対戦だった。


 


第9試合(セミ・ファイナル)は、協栄ジムのロシア人ボクサーの試合。これは本当に面白かった。相手は、元東洋太平洋バンダム級チャンピオンのフィリピン人。ロシア人ボクサーの一方的な展開で、文字通りフィリピンボクサーを「ボコボコ」にしていた。しかし、なんとそのフィリピンボクサーがボッコボコに殴られても倒れない!結局最後のラウンドでレフリースットップ(TKO)になったけれど、あのタフさは見応えがあった。TVではもちろん放映していません。


 


そしてタイトルマッチ。会場は満員ではなかったけれど、沢山の人が応援しに来ていた。盛り上がりもこれまでとはぜんぜん違う。入場もちょーカッコいいし。「君が代」斉唱するし。元世界チャンピオンたちも勢ぞろい。勇利アルバチャコフや鬼塚勝也、ファイティング原田、そして現WBC世界バンダム級チャンピオンの長谷川穂積選手も。山本Kidや亀田大毅も来ていた。


 


第1ラウンド。暫定王者のパナマ人の挑戦者は、アウトボクサーでするどいフックを持つ選手。モハメド・アリにスタイルが似ているな、と思った。その挑戦者のフックが何度も坂田の顔面をクリーンヒットし、「あー・・・こりゃキツイなぁ」と思わずこぼしてしまった。


 


坂田は決して上手い選手ではない。フットワークはぎこちないし、ガードが甘い(挑戦者のフックが鋭いせいもあるが)。というより、ガードが下手だ。ボクシングの技術や上手さでは、圧倒的にパナマ人の挑戦者の方が上だ。しかし、勝ったのは坂田だった。オレは興奮して、3ラウンドあたりから拍手したり叫びまくったりしていた。結論はこうだ。坂田は上手い選手ではなかった。だが、強い選手だった。


 


坂田は、最後の最後まで挑戦者に対し強いプレスをかけつづけた。アウトボクサーに対してはこれが一番効く。そしてあのスタミナと内に秘めたガッツだ。ラウンドを重ねるにつれ、挑戦者のパンチは勢いが弱まっていったのに対し、坂田のパンチは明らかにキレが増していった。それは驚くべきことだ。


 


さいごに。TVで観るのと、実際に生で観るのとでは、あたり前だがまったく違うと思った。まず、パンチが相手の体をヒットするときのあの肉音だ。あれは非常に深みがある。実況中継がないぶん、音で楽しむことができる。


 


そしてもうひとつは、会場(観客)の雰囲気と共に試合を楽しめること。といっても生で観たことのない人にはわかりづらいだろうけれど。坂田の試合のとき、観客の声援と野次はものすごかった。「亀田と坂本どっちが強いんだ!」(亀田と坂本は同じ階級で同じジム)とラウンドの合い間に大声で叫んでいる兄ちゃんがいた。すると会場のあちこちから、「坂本だー!」「坂本に決まってんだろー!」「亀田血祭りじゃー!」「やおちょー!」「坂本と勝負しろー!」といった野次が飛んだ。当然だが、そういうのはTVでは映らない。


 


もっと感動的だったのは、坂田が打ち合いをしているときに、スタイル抜群ですっごい美人の女性が、オレの目の前の席で、「坂田!前出ろ!前!!」「後ろ下がるなって云ってんだろ!!」「ボディだ!ボディ!!」「つめろ!つめろ!!勝てるぞ!」「ジャブ使え!」と、会場でもっとも大きくそしてもっとも透る声で叫びつづけていたことだ。それの光景を観られただけでも、有明コロシアムに来てよかったな、と思った。だが当然、TV局は彼女の声を拾ったりはしない。


 


今日の試合はやばかった・・・。やっぱ生だよ。何事も。「リアリティ」が違う。つまり・・・空気の濃さだな。




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