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追越ノート―「ここ」から世界へ
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プロフィール

TAKESHI

Author:TAKESHI
下田にて

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「 2007年05月 」 の記事一覧
2007.05.30 Wed
My Way


ひさびさの日本での生活。便利さと治安の良さを身に沁みて実感する日々。


帰国早々、メディアを通じて耳元に入ってくる殺人や自殺などの、わけのわからない日本社会の風潮に、かんべんしてくれよ、と云いたくなる。死ぬなよ。ばかじゃねーの。


それにしても、日本にはなんでこんなにウザいやつらがたくさんいるんだろう。オレの周りにもいる。オレは、自分のやることに干渉するやつが大嫌いだ。


そういうやつらは大抵ヒマ人だ。そんなヒマがあったら自分のことをもっとなんとかしろ、といいたいところだが、そんなヒマはオレにない。


オレは基本的に他人に興味がないから、他人のすることに干渉するということはない。


オレは自分のやりたいことしかやらない。やりたくないことはやらない。オレの行動はいつも理にかなっている。


たまに、オレがなにかするとき、「なんで?」って理由を求めるやつがいる。理由なんてあるかバカ。やりたいからやるんだ。それ以上でもそれ以下でもない。お前と違って、理由なんて考えるヒマもない。そんなヒマがあったら、とっくに次の行動してるよ。


ひとの私生活について熱心に聞いてくるやつもバカだ。まずは自分の私生活を心配しろ。お前は『週間現代』か。オレは、自分にとって本当に大事なことは絶対に他人には云わない。それって世界基準でしょ。しかも、なんでお前に云わないといけないんだよ。ばかじゃねーの。


ようは、ウザいやつが多いんだよ。


なんか、社会が病んでいるから、そこに暮らす人間もしだいに病んでいくんだろうな。それに気づかないやつって、ある意味かわいそうだよね。


むこう(メキシコとパラグアイ)にいたときは、異文化ギャップがあるために、意思の疎通で苦労することが多かったけれど、日本みたいに「ウザいやつ」はいなかった。個人主義が徹底されているからね。そういう意味では、苦労しながらも精神的に楽だったよ。理にかなっているからね。


そんなことを最近おもふ。

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2007.05.15 Tue
伝説のスタジアム


 


ついに辿りついたメキシコのアステカスタジアム。その大きさと迫力に思わず圧倒されてしまった。収容人員はなんと11万4600人。ちなみに、日本最大の横浜国際総合競技場の収容人員は7万2000人。つまり、ケタ違い!


 


50ペソのチケット(上の席)を買って、スタジアムの一番上の席に登ってみた。このスタジアムの観客席は、急なすり鉢状になっていて、うっかりすると下に転がり落ちてしまいそうだ。一番上の席からは、はるか下の方に小さな長方形が見えた。そこからだと、みどり色のピッチ全体をスッポリとキレイに見納めることができるのだ。


 


試合開始2時間前にスタジアムに到着した。すでにかなりのサポーターが中段の観客席を埋めていた。まだガラガラの最上階の席から、ひとりで遠くのピッチをただ黙って見つめていると、いつの間にか熱いものが瞼の裏にこみ上げてきた。いくつもの映像がその長方形のピッチを横切っていた。


 


マラドーナが「5人抜き」をしたのはあそこだ・・・


ペレのウィニングランはあのへんだったかな・・・


 


メキシコは世界で唯一FIFAワールドカップを2回開催した国である。


そしてこのアステカは、世界で唯一FIFAワールドカップの決勝が2回行われたスタジアムである。


 


1970年、ブラジル代表のペレが、自身最後の国際試合でジュールリメ杯(初期のワールドカップ・トロフィー)を手にした。


 


1986年、忘れもしない、アルゼンチン代表のディエゴ・アルマンド・マラドーナによる、準々決勝の対イングランド戦での「神の手」ゴールと「5人抜き」。チームを優勝に導き、「マラドーナの大会」と呼ばれた。彼の栄光を讃えるブロンズプレートが、アステカスタジアムの外にある。


 


知っている日本人は意外と少ないかもしれないが、1968年のメキシコ五輪で、日本代表FWの釜本邦茂(同大会得点王)は、このスタジアムで地元のメキシコ代表を破り、チームを銅メダルへと導いた。そもそもこのスタジアムは、メキシコ五輪のために1966年に建設されたのである。


 


どれだけの名選手があのピッチで記憶に残るプレーを披露し、そしてどれだけの観客がそれに魅了されてきたのだろうか。すべての記憶は、このスタジアムに刻み込まれている。まさにこのアステカスタジアムは、「伝説の」と呼ぶにふさわしいスタジアムなのだ。


 


今日行なわれた試合は、このスタジアムを本拠地とするクラブ・アメリカVSアトラス。クラブ・アメリカは、リーガ・エスパニョーラで云うとレアル・マドリーのようなチームであり、日本のプロ野球で云うと巨人のようなチームである。要は、お金でいい選手を集めて強くなったチームということ。


 


首都のメキシコシティーに熱狂的なサポーターを持つものの、メキシコ全土でみると、クラブ・アメリカが大嫌いな人のほうが圧倒的に多い。このアメリカと、チーバス(グアダラハラ)との試合は、メキシコのスーぺルクラシコと呼ばれている。


 


試合開始直前には、約11万人収容の観客席が、じつに9割以上埋め尽くされた。つまり、観客動員数は今日一日で10万人以上ということになる。もちろん最上階までビッッッシリだ。しかもそのほとんどが、黄色いユニフォームのアメリカサポーター。オレは別にアメリカが特別好きなわけではないが、スタジアムに入る前に、スタジアム周辺の店でアメリカのユニフォームを買った。どうせなら大衆に同化したいからだ。


 


背番号は「23」、クラブ・アメリカでプレーするパラグアイ代表FWのネルソン・クエバスのユニフォームである。もうひとり、パラグアイ代表FWのサルバドール・カバーニャスも同じチームでプレーしている。しかも彼はいつもスタメンである。でも、オレはクエバスの方が好きだ。それと、オレのお気に入りのメキシコ代表FWオマール・ブラボーのユニフォーム(チーバス)も買った。


 


試合が始まると、スタジアムはものすごい盛り上がりをみせた。なんつったって10万人以上!相手チームの選手がボールを持ったりシュートをしたりすると、観客席全体から「ブォー!!!ブォー!!!」ってちょーブーイングが飛ぶ。そのみんなの声の響きがこれまたすごい。とてつもなくエコーが効いている。スタジアムの音響効果は抜群。まるでスタジアム自身が吠えているよう。


 


試合は、サイコーに面白い展開となった。まず前半でアメリカが2点先取。ゴールを決めたときの、観客の怒号と興奮のしようは、いまだかつて経験したことのない類のものだった。決めた瞬間、みんな一斉に「グォーーーーーーール!!!!!!」と叫んでスタンディングオベーション。繰り返すようだが、その観客の怒号とスタジアムの音響効果はすさまじい!10万人だよ!10万人!!!いままでのすべてを忘れさせてくれる瞬間だった。


 


そしていよいよ後半。アトラスに1点返されたものの、アメリカが再びPKを含む2点をゲット!4対1。もうサイコー!!!ウォーーー!!!ああああああ!!!アメカチ!オレは思う。オレたちはスタジアムに試合を観にいくんじゃない。奇跡を観にいくのだと。ゴール即ち奇跡なのだ。少なくともここラテンアメリカでは。オレはそんな奇跡を、今日一日で4つも経験することができた。感無量とはこのことである。


 


試合終了約10分前に、カバーニャスに代わってクエバスが投入された。パラグアイ代表FW同士の交代。そしてオレはクエバスのユニフォームを着ている。「コーレ(走れ)!コーレ(走れ)!」「アーメーリカ!アギラス!!」「アーメーリカ!アギラス!!」と、スタジアム一体のスタンディングコール。もう鬼畜。やばすぎ。無限の境地。そして感動のホイッスルへ!


 


あの、浦和レッズの試合を100回観るヒマがあったら、一度でいいからメキシコのアステカスタジアムに試合を観に来たほうがいいよ。って狭い日本に慣れてしまった人にいくら云ってもムダか。ぬるま湯からはなかなか脱けだせないもんね。


 


あぁ・・・・・メキシコに来てよかった・・・。メキシコに来て本当によかった・・・。メキシコに来た甲斐があった・・・。これで目標はすべて達成された。ありがとうメキシコ!そして、ありがとうラテンアメリカ!オレはもう何もいらない。本当にもう・・・何もいらないぜ。このアステカスタジアムの熱狂が、オレのメキシコ留学のすべてだった。


 


あした日本に帰ります。



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2007.05.12 Sat
夏海


ダイバーがなんでかっこいいか知ってるかい。


青い海と青い空が、いつもオレの心を洗うからさ。



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2007.05.12 Sat
セノーテダイブ


2日目は、プラジャ・デル・カルメンでセノーテダイビングをした。


 


セノーテとは、石灰岩台地の陥没穴に水がたまってできた天然の泉のこと。ユカタン半島は密林の湿潤地帯だけど、川や湖はどこにも見当たらない。しかがって古代のマヤ人は、真水の供給源としてセノーテを重宝した。各地から巡礼の人が訪れ、生け贄や財宝を捧げる場としての宗教的役割もはたしていたのだ。


 


さて、セノーテダイブ。これが結構経験値を問われるダイブで、ダイブ経験が少ないと断られてしまう。なぜかというと、セノーテの中の狭い洞窟を、上手に中性浮力を駆使しながら進んでいかないといけないから。オレにとっては、はじめての淡水でのダイブとなった。


 


1本目は、「チャックモール」というセノーテ。ちなみに、チャックモールとは古代マヤ人が信仰した水の神の名前。陸で装備を整えてからセノーテへと歩いていく。これも少々きつい。なぜなら、ダイブの装備はタンクを入れると30kg以上あるから。足腰がしっかりしていないとね。その点、欧米の人たちはお年寄りでもガタイがいい。


 


ウェイトは淡水であるため、海水の半分で足りる。オレの場合6kg。そして、いざ潜水!ボグボグ・・・ボグ・・・このダイブは普通のダイブとは違って、インストラクターを先頭に、後のダイバーが一列になってついていくというかたちをとる。当然、ある程度の協調性が求められる。水はものすごく冷たい。


 


一見たんなる泉にすぎないように見えたセノーテの中には、ものすごく入り組んだ洞窟が存在している。水中ライトを片手にダイバーは進んでいく。そこには、なんと鍾乳洞が奥の方まで広がっているのだ!とてつもなく澄んだ水と、青の世界。コトバを失ってしまう。古代マヤ人にとって、聖なる領域であったというのが納得できる。


 


長い鍾乳洞の洞窟を抜けて、はるか上の水面を見上げると、かすかな光が水中に射し込んでいて、その下を宙に浮きながら進んでいくダイバー・・・水の流れがまったくないため、雑音が一切なく、まさに無の世界。まるで宇宙を旅しているかのようだった(写真参照)。こんな貴重な体験はなかなかできない。そもそもセノーテはユカタン半島にしかない。


 


そして2本目は、「ククルカン」というセノーテ。このククルカンもマヤ神話に伝わる至高神の名前。いかに宗教的な場であったかがよくわかる。ここも、セノーテの中の鍾乳洞の迫力はすごい。ここでひとつ、ダイバーが気をつけなくちゃいけないのは、絶対に鍾乳洞に触れてはならないということ。一度欠けた鍾乳石は、復元するのにとてつもない時間を必要とするからだ。だからこそ、中性浮力を上手に使えるダイバーでないとダメなのだ。


 


2本のセノーテダイブを終えて、一緒に潜った奴らと昼飯を食いながら、お互いの感動を語りあった。ダイバー同士はすぐ友だちになれる。なんつったて、他の奴らには絶対にわからない、貴重な体験を共有した仲だからね。


 


プラジャ・デル・カルメンへ戻ると、太陽のかけらがこぼれ落ちるように白い砂浜にはねかえり、そしていつものように美しい海がそこに広がっていた。オレは、心地よい疲労感を味わいながら、ビーチでサッカーする子どもたちをゆっくりと眺めていたのだった。



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2007.05.10 Thu
コスメル島


きのうの夜、スキューバ・ダイビングの旅を終えて、メリダに帰ってきた。


 


今回の旅でまずはじめに行ったのは、やっぱりコスメル島。コスメル島については、すでにこのブログで何回か紹介したけれど、要は、世界中のダイバーが集まる「ダイバーズ・パラダイス」と呼ばれるところ。カリブ海に浮かぶ島で、海の透明度は世界有数。普通で30~40mの透明度をもち、オレが行ったときは波が高くなかったため、海の透明度は60mに達していた(Byインストラクター)。


 


そんなダイバーのメッカは、集うダイバーも熟練を重ねた玄人ばかり。コスメルに来る人の95%以上は、スキューバ・ダイビング目的である。リゾートとビーチだけが目的なら、すぐそばのカンクンで用は足りる。コスメルは、意外とこぢんまりとした町である。しかーし!ダイブショップはなんと100以上ある。


 


コスメル島のダイバーは、お金持ちのアメリカ人が多い。ヨーロッパの人もたまには見かけるが、彼らはダイビングよりもビーチでのんびりと過ごすのを好むらしい。日本人(東洋人)はほとんど見かけない。また、コスメルはメキシコの領土だが、ダイビングをするメキシコ人を見かけたことがない。理由は簡単。ダイビングには、それなりのお金が必要だから。


 


町ではたらく現地の人は、みんな英語を話す。コスメルの公用語は英語です。ダイブショップの人たちなんて、オレがスペイン語で話しかけても、むこうは英語で返してくる始末。まー端的に云うと、西欧人の町ってことです。ちなみに、ダイバーの公用語も英語です。世界中、どこの海で潜ってもコミュニケーションは英語です(あ、日本は違うか)。


 


そしてコスメル島に来たら、何と云ってもドリフト&ディープダイブ!1本目のダイブは、以前に潜ったことのある「サンタロサ・ウォール」というポイント。船着場からボートで約40分のところにある。水深12~15mのリーフエッジから急角度に落ち込むウォールがあり、その下には、底の知れぬグラン・ブルーの世界が存在している。その色は、既存の色ではとても表現できない濃厚さと神秘性を帯びている。その中に入ってゆくとき、地上のすべてはまぼろしとなる。


 


水深30mに広がる静謐なグラン・ブルーの世界。深度が増せば増すほど、ダイバーは生理学上、まともな思考ができなくなる。それを「窒素酔い」(または「窒素中毒」)という。そこで「しかし」、と思うのはオレだけだろうか。


 


酔いは、窒素による生理学的なものだけではないのではないか。窒素酔いは、「多幸感」と呼ばれる精神の高揚状態をもたらすとされる。「多幸感」とは、じつに云い得て妙である。オレは思う。ダイバーはそこで地上よりもはるかに広大な、もうひとつの世界を眼にする。そしてそれは、地球の生物が初めて誕生した、私たちの還るべき場所でもある。「だから」と云うべきか、「そして」と云うべきか、そのとき彼は、地上に戻るべき理由を失ってしまうのだ。


 


さて、2本目。「トルメントス」というポイント。サンタロサ・ウォールからボートで約15分のところにある。ここポイントの特徴は、ボトムの耀くような白い砂地と、熱帯魚などの水中生物の豊富さ。面白い形をしたサンゴや、目の前を群れでとおり過ぎる鮮明色をもった魚たち。クイーン・エンゼルフィッシュやブルー・エンゼルフィッシュ、そして真っ黒なブラックドラゴン。シャイ・ハムレットにロング・ジョー・スクイルフィッシュ、その他まだまだたくさん!小さなエイにも遭遇した。




今回はカメラを持って潜水し、水中撮影にも初チャレンジした。はたしてうまく撮れているかどうか。そしてダイブし終わった後、その日出会った魚を本で確かめるのも小さな楽しみのひとつである。


 


2ダイブ終えてコスメル島を去り、対岸のプラジャ・デル・カルメンにフェリーで戻った。その日の夜は砂浜で寝た。カリブ海の心地よい潮騒をききながら・・・。穏やかな夜の海に魅せられて、朝起きたときは美しい朝焼けがオレを待っているのだった。



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2007.05.05 Sat
Cancun Forever〔3〕


日焼けはこんがりと、そして美しく、ね♪

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2007.05.05 Sat
Cancun Forever〔2〕


海を前にすると、地球が丸くみえる。

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2007.05.05 Sat
Cancun Forever〔1〕


エメラルドグリーンからコバルトブルーへ。 「ジュースいかがっすか~」

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2007.05.01 Tue
氷上のモーツァルト



パソコンの画面が快くぼやけつづけていた。2007年の世界フィギュア(動画)を観ているあいだ、時が数分間止まっていた。浅田真央が『チャルダッシュ』を純白の銀盤に刻み終えたとき、それは、忘れていた時がもう一度刻み始める瞬間だった。


 


キス・アンド・クライでコーチと採点結果を待ちながら、彼女は努めて笑顔をつくっているように見えた。技術点とプログラム総得点がコールされ、パーソナルベストの更新が告げられ、最後に総得点が云いわたされたとき、人が本気で涙する瞬間を見た。笑顔が感喜の涙に変わる瞬間。神が人間に与えた表情の中で、これほど美しいものはない。


 


彼女の演技は1年前と大きく変わった。彼女の演技をはじめて見たのは、日本で開催された2005年のグランプリ・ファイナルだった。小さくて華奢で線の細い体が、広いスケートリンクを思う存分に舞う姿は、私の目をとりこにした。高くて速くて、そして軽快なジャンプ。まるで羽が生えた妖精が踊っているようだった。彼女がまっ白な銀盤を音楽に合わせて舞っているあいだ、その数分間だけ、私は世俗のことを忘れることができた。


 


すでにマスコミで云われつづけていることではあるが、彼女はまるで、「天真爛漫」を絵に描いたような演技、そして人物だった。かつて神童といわれたヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの幼い頃は、おそらく彼女のようだったのだろうと、私は勝手に想像した。


 


彼女には、世俗を超越した美しさがある。荒川静香やイリーナ・スルツカヤが持っているような、世俗にマッチした美しさとは違う。後者が外面の美しさであるとすれば、前者は内面の美しさと云えるだろうか。つまり、色のある美しさではないのだ。


 


今回(2007年)の世界フィギュアにおける彼女の演技は、背が伸びて足の筋肉が付いたこともあってか、1年前とは違い、大人っぽい美しさが垣間見られるようになっていた。とくに、つなぎのステップや表現力は、1年前よりもかなり上達しているように見えた。プログラム全体としても、1年前のものよりも完成度の高い演技であったと私は思う。


 


この1年間で、彼女をめぐる状況は大きく変わった。マスコミを始めとして、日本国民の彼女に対する期待は、いまやとてつもなく大きい。しかし、それとともに「天才フィギュアスケーター・浅田真央」というマスコミによって作られたイメージが、勝手に一人歩きしてしまっているという状況も正直否めない。おそらく彼女の内心も、そうした周囲の期待とともに少しずつ変化せずにはいられないだろう。


 


しかし、彼女はまだ16歳の少女である。周囲の期待に応えようとするあまり、どうか滑るのが苦にならないでほしいと、私は願うばかりだ。フリープログラム終了後のインタビューで、インタビューアーの「いろいろなプレッシャー、ありましたよね」という問いかけに、泣きながら、そして何度もうなずきながら、「はい」とキッパリ答える彼女。


 


この1年のあいだに、世界ジュニア選手権(2006年)があり、グランプリ・ファイナル(2006年)があった。両大会とも、彼女にとって苦い経験であったに違いない。そして、今回のショートプログラムでの痛恨のミス。だからこそ、それを乗り越えてのフリープログラムでのあの演技は本当にすばらしかった。


 


時が経つとともに、誰も変わらずにはいられない。そのような中で、彼女の演技が今後どのように変化していくのか、心配であるとともにやはり楽しみである。彼女の「変わらない」部分にもっとも注目しながら・・・。そして、


 


名前がコールされ、銀盤にくり出されるモーツァルトの姿を、私もいつか生で見てみたいと思う。



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