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TAKESHI

Author:TAKESHI
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「 2007年03月 」 の記事一覧
2007.03.31 Sat
南米蹴球記-激闘編



いま、南米のサッカーが熱い!いや、以前から大火事になるくらい熱かったのだが、やっぱりサイコーに面白いのだ。


 


最近、国代表の親善試合がおこなわれている。とはいっても、日本VSペルーとかいう、ぬるい試合ではない。聞くところによれば、ペルーは日本に2軍を送ったらしい。でもそんなのはあたり前のことで、日本と本気で勝負しようなんて国は、アジアのチームを除いては世界におそらく存在しないのだから。


 


5日ほどまえに、パラグアイVSメキシコの試合があった。場所は、メキシコ北部のモンテレー。パラグアイのFWは、おなじみのロケ・サンタクルスと、現在メキシコのクラブ・アメリカで活躍するサルバドール・カバーニャス。メキシコ代表のトラップとパス回しは、やはりすばらしかった。パラグアイも、競り合いでは決して負けていなかった。でも、毎度のこと、攻撃が単調なのである。ひたすらタテのロングパスを前線に供給する戦い方だ。あきることなく、けなげにも、何回も同じ攻めをくりかえしていたので、思わず笑ってしまった。後半の35分くらいに、メキシコのFWオマール・ブラボに代わってヘラルド・ボルヘッティがピッチに入った。そして入って1分も経たないうちに、センタリングのボールをヘッドで決めた。「ヘディングの王者」を印象づける一発だった。その5分後に、キーパーのパンチしたこぼれ球を、再びボルヘッティがあっさり決めて試合を決定づけた。2-0でメキシコの勝利。


 


その3日後、今度はパラグアイVSコロンビアの試合。場所は、コロンビアの首都ボゴタ。しかし、この試合はしょぼかった。コロンビアの早いカウンター攻撃にパラグアイはおされまくり。サンタクルスは何度か相手ゴールに迫ったものの、もうひとりのFWカバーニャスはクソだった。けっきょく試合は、パラグアイにこれといった見せ場もなく、2-0でコロンビアの勝利。


 


次はリベルタドーレス杯。南米(メキシコも含む)最強のクラブチームを決める大会。パラグアイからは、タクアルとリベルタとセロ・ポルテーニョの3チームが出場している。タクアルは即効敗退。セロはブラジルのグレミオにホームで敗れ、がけっぷちに立たされた。しかし、ホームでペルーのチームを破って一命をとりとめた。そしてリベルタは、現在2連勝中である。メキシコの強豪クラブ・アメリカをアウェイで4-1で打ち破った。


 


そして第2戦は、ホームのデフェンソーレススタジアムで、3月22日におこなわれた。オレはその試合を観戦しにいった。対戦相手は、エクアドルのナショナルというチームだ。前半にリベルタがスルーパスのボールを鮮やかにゴールにぶち込んだ。サポーターのものすごい熱狂!そのあとも、始終リベルタがナショナルを圧倒した。相手ゴールに迫る場面が何度もあった。しかし、せっかく相手キーパーの前まで迫ったのに、(柳沢や高原のように)横にいる味方にパスをしたりして、追加点を奪えない、いや、「奪わない」、煮え切らないシーンがいくつもあった。そのたびに、サポーターからはすさまじい罵声とブーイングがとんだ。「イホ・デ・プタ!!!」「何でシュートを打たないんだ!」「怖がっているんだお前は!」「交代だ!」「もうやめちまえ!」「デラッコレ!!!」などと、各人が好き勝手なコトバをピッチの選手に向かって大声で投げかける。この国では、積極的なシュートは歓迎されるが、消極的なミスは徹底的に叩かれる。クソミソに罵倒される。選手の消極的なプレーに対しては、ものすごく厳しいのだ。試合の最中、観客のスタンドで彼らの叫び声が止むことはない。それほどまでに、彼らのサッカーに対する期待は大きい。


 


そして、オレはそんなスタジアムが大好きだ。大衆がサッカーの試合に我を忘れて熱狂し、スタジアムに興奮がみなぎり、そしてそこは次第にエネルギーの発祥地となる。試合は、1-0でリベルタが勝利した。ヘドがでるような試合だった。みんなブツブツ文句を云いながらスタジアムを去っていった。オレが求めるのはそんな試合じゃない。




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2007.03.31 Sat
エル・ドラードへの道-エピローグ

 


イタ・コラの岸に引きあげた頃、さっきまでオレンジ色だった空はピンク色に変わりつつあった。河岸にたたずむボートに、船頭は最後の手入れをしている。美しい光景である。


 


結局、オレたちが求めたドラードは、釣ることができなかった。しかし、決して今回の挑戦は無駄ではなかった、というのがオレたち3人の共通した意見だった。たしかな手応えと、貴重な経験値を手にすることができたからだ。再びここにやって来たとき、今度こそそれらは、「腕におぼえあり」という結果になって返ってくることだろう。


 


コゴシさんとシンヤさんは、まだパラグアイに残る。ドラードの釣れる季節は、9月から12月にかけてである。でも10月から約2カ月間禁漁期に入ってしまうので、実質9月か10月に釣らなければならない。彼らが再び、第2次ドラード隊を結成して今年中にリベンジしてくれることを心から祈る。


 


オレはオレで、これで終わったわけじゃない。今回ドラードは釣れなかった。でも、おかげで、夢はつづいた。ドラードを釣ることが、オレのライフワークのひとつとなった。今度いつ、パラグアイに来られるかはわからない。だけど、オレはいま、夢の途中にある。


 


オレのエル・ドラードへの道は、まだつづいている




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2007.03.28 Wed
エル・ドラードへの道-ドラードの夕日

 


その日の午後は3時からスタートした。3人になったので、ボートを1台にした。いつものように河の奥まで行き、エサ(うなぎ)を落とした。あとはただ待つだけである。


 


ところが、1時間以上経っても、ウンともスンともいわない。たまにエサが流木に引っかかったり、ピラニアに喰いちぎられたりするだけである。しかし、ただ待つのみである。それをオレたちは知っていた。もうその頃になると、信じて「待つ」ことに慣れていた。


 


釣れないからといって、別に焦ることも不快になることもなかった。釣れなければそれまでさ。がんばって釣れるような類のものでもない。運を天に任せるしかない類のものである。考えてみると、馬鹿な連中である。傍から見ると「時間の浪費」のようにみえるだろう。でも実際、馬鹿なのだ。男とは、得てして馬鹿なことが好きなのだと思う。


 


日が沈もうとする頃になって、船頭が「帰ろう」と短く云った。オレたちも無言でリールの糸を巻きあげた。やがてボートが走りだした。と、そのときだった・・・!


 


みつけたぞ


何を?


永遠を


それは太陽にとける海だ


 


さっきまで曇っていた空が、いつのまにか地平線の向こうに美しい情景を創りだそうとしていた。やがて2つはとけあった。オレはアルチュール・ランボーの詩を、やさしく胸に刻んだ。すべてが満たされていた。もうそれで十分だった。





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2007.03.25 Sun
エル・ドラードへの道-ピラニアの憂鬱



早朝7時に2日目はスタートした。昨夜の大雨はもう止んでいた。ホテルの客は相変らずオレたちだけだった。


 


今度はペアを替えてみた。スナヤマさんとシンヤさん、コゴシさんとオレである。その日もドラードだけに集中することにした。オレたちの目標とする魚は、きのうその片鱗を見せた。あとは釣るだけである。


 


河の奥までいき、ボートを停泊して、針を河に落としてから、何回か引きがあった。竿の先はつねにビクビク揺れている。エサのブス(ウナギ)が河の中で動くためである。しかし、ときどきグイッと深く竿の先が沈むときがある。糸を引きあげてみると、ブス(ウナギ)が所々乱雑に喰いちぎられている(写真)。ピラニアである。


 


何度も引きがあって竿を引きあげたが、一度もピラニアの姿を見ることはなかった。人を憂鬱にする魚である。ピラニアなど端から相手になどしていないのだが、エサだけもっていかれるのはあまりいい気分ではない。大物を釣る邪魔をしてくれるなと云いたい。


 


はまなすセンターの所長で魚の専門家でもある内山さんによれば、ピラニアは「あわせ」が難しいという。グイッと引いてからすぐに竿を引きあげてもだめだという。グイッグイッくらいで引きあげた方がいいというが、定かではないと云っていた。かなり慎重な魚なのだろう。


 


ピラニアに時々邪魔されながらも、ボートにたたずんで一途に大物の引きを待っていたそのときだった。竿の先がグイッグイッと激しく動き、その次にガン!と強く沈んだ。「!?」と思ったが引きあげるのをためらった。またピラニアかと思ったからだ。そしたら船頭が「引きあげろ!」という。しかし、竿を引きあげたときには、すでに魚の重みはなかった。


 


エサはきれいになくなっており、大きな針だけが残っていた。「またピラニアでしょ」とオレが云うと、「ピラニアじゃない。あれはたぶんドラードだよ。ピラニアならこんなエサの喰い方はしない」と船頭は云った。


 


悔しさと嬉しさが入り混じった複雑な気持ちで、今度こそは!・・・と意気込んでみたものの、やはり大物は意気込んで釣れるようなものではなかった。その日の午前中も、誰もドラードを釣ることはできなかった。


 


午前の部が終わり、日本に帰国する直前だったスナヤマさんは、出国の準備があるため、悔恨の思いを胸にイタ・コラを去らなければばらなかった。「ぜったい釣ってくださいよ」とみんなに云い残してスナヤマさんは去っていった。




イタ・コラに残った3人は、午後も引きつづき大物に挑戦することにした。時期的にいくら釣るのが難しいといっても、可能性はゼロではない。ゼロではないことを肌身で知っているかぎり、簡単にあきらめることはできないのだ。たとえそれが1000分の1の確率であったとしても、その「1」がいつ起こるかは誰にもわからないのだ。オレたちはその「1」に午後も賭けることにした。


 


ただし、もしそれでも釣れなかったら止めることにした。忍耐の問題だけではなく、金銭的にもそこにとどまって釣りをつづけるのは難しかったからである。


 


オレたちにはもう、神の見えざる手に期待する以外になかった。




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2007.03.25 Sun
エル・ドラードへの道-パラナ河の食卓



まっ赤に日焼けして疲労困憊したオレたちを、パラナ河の食卓は待っていた。


 


マンディのカルド(スープ)を中心に、ピラニアとピラジャグアのから揚げが食卓に堂々と据えられる。バドワイザーのビールがその食卓に艶やかな色あいをつけている。


 


マンディのカルドはあったかくてコクがあってやわらかく、身体の芯まで潤おしてくれた。ピラジャグアのから揚げもなかなかで、ピラニアは少々骨が多くて食べるのが難儀だが悪くなかった。


 


きょうの出来事を語りあい、あしたの夢に陶酔する。パラナ河の賜物にビールがすすんだ。


 


至福の時である。



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2007.03.24 Sat
エル・ドラードへの道-神の見えざる手



ホテルで簡単な昼食をとり、ビールを思う存分食らって、午後の4時頃後半戦がスタートした。狙うはドラード。みんなの頭の中はドラード一色だった。マンディを何十匹釣ろうと、そんなのは何の意味もなかった。仕掛けもすべてドラード用にした。ブスというウナギでドラードは釣る。


 


ボートを2手に分けて別々の場所で釣ることにした。スナヤマさん(17年度1次隊:小学校教諭)とオレのペアと、コゴシさん(18年度1次隊:野菜)とシンヤさん(17年度2次隊:SE)のペアである。


 


午前中は拷問のように暑かった気候も、午後になると雲ゆきがあやしくなり、雨が降りそうな気配になった。だだっ広い河の、真ん中あたりにボートを停留させた。「こんな河の真ん中で本当にドラードが釣れるの?」とオレが半信半疑で船頭に聞くと、「ドラードがどこにいるのかなんて、オレたちプロの釣り人にもわからない。だから色んなところを探さなくちゃならない。運だよ」と船頭は答えた。


 


30分くらい経ってもいっこうに引きがないので、オレたちのボートは場所を変えることにした。河の奥の方まで行って、そこでまた針を河に落とした。しだいに雲ゆきがさらにあやしくなってきた。何かが起こる、そんな前兆が、シンと鎮まりかえった河の一面に漂いはじめている。不思議な予感がした。嵐の前の静けさのような・・・


 


しばらく経ってもいっこうに引きはなかった。やがてコゴシさんとシンヤさんを乗せたボートがこっちにやってきた。「釣れましたか?」とシンヤさんが大声で聞く。なんと、彼らのボートでは、2回ドラードの引きがあったという。まずはじめはコゴシさんで、リールを必死に巻き上げている途中で、魚が空中に跳ね上がったという。そしてその魚はキレイな黄金色をしていた。しかしそのあとバレてしまった。


 


そのすぐあとにシンヤさんに強烈な引きがあった。シンヤさんの叙述によれば、最初はグイッ、グイッと竿の先が揺れ、その次にガン!と深く竿が沈んだのだという。リールの糸をすべて出し切ってしまい、渾身の力でリールを巻いている途中にバレてしまったという。2人とも、糸を食いちぎられ、エサを針ごと持っていかれてしまった。


 


しばらくして、オレたちはホテルに引き上げた。そのあとに雷が鳴り、スコールのような大雨となった。コゴシさんたちが目撃した黄金色の大きな魚は、はたして神のいたずらだったのか・・・。オレも見てみたい・・・!と思った。ホテルに引き上げたあとも、オレの身体は明日への静かな熱に犯されつづけていた。





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2007.03.20 Tue
エル・ドラードへの道-炎天下の前哨戦


イタ・コラはこぢんまりとした漁村だった。午前の9時頃に到着した。着いてまもなく、パラナ河に面した小さなホテルにいった。他の釣り客の姿はまったく見当たらない。ホテルの主人が奥からやってきたので、ドラードを釣りたい旨を話したところ、「・・・ドラード?!・・・難しいよ・・・いまはいないよ」と彼は云った。


 


彼の話によれば、ドラードの釣れる時期は9月から11月にかけてなのだという。毎年その期間になると釣り客が大勢やってきて、ホテルは連日満室なのだそうだ。いまの時期(3月)は水位が上がってしまい、ドラードはエサを食べにこないのだという。


 


しかし、いずれにせよやって来たからには釣るしかない。もちろんドラードをである。それしかオレたちの頭にはなかった。しかし、いまは閑期のためか、ドラードを釣るためのエサがないのだという。他の店もあたってみたがだめだった。明日になれば手に入るという。仕方なく、その日はドラードを断念せざるをえなかった。モーターボートを二隻チャーターし、地元の船頭を一隻ずつつけて、さっそく河へ船出した。


 


高速ボートでホテルから20分ほどの奥地へ行く。空は青くすみわたり、陽射しは刃物のように体に突き刺さり、ボートの看板は火傷しそうなくらいに熱かった。やってきたところの河岸にボートを停留し、さっそくミミズをエサに釣りがはじまった。


 


最初に釣り上げたのはオレだった。開始5分もたたない頃だった。マンディというナマズ系の小さな魚である。つづけて他のみんなや船頭も次々に釣りだした。この魚は、ピクリと竿が沈んだ瞬間に、竿を大きく引き上げなければならない。でないと、すぐに逃げてしまう。竿のわずかな動きに感覚をとぎ澄ましている必要がある。結局、このマンディは、午前の部だけで15匹ほど釣れた。オレは7匹釣った。


 


スナヤマさんはマンディの他にピラニアを1匹釣った。体長40センチくらいのピラニアで、その種としては大きい方に入ると思う。また、オレのボートにいた船頭が、ピラジャグア(グアラニー語で「さかな犬」の意。さしあたり、「河の犬」にあたるか)を釣り上げた。引きはかなり大きかった。ボートの傍まで引き上げて、さいごは網ですくい上げた。体長は1メートルほどあった。ピラニアのような鋭い歯をもっている。いまの時期にピラジャグアを釣るのはかなり難しいという。「運だよ・・・運がよかったから釣れたのさ」と船頭は云っていた。


 


難しいとされる「河の犬」が釣れたのだから、「河の虎」だっていけるのではないか、とオレは船頭に期待をこめて聞いた。「釣れるさ、運がよければね」と船頭は答えた。すべては運次第、天のおもむき次第か・・・でも、可能性はゼロではない。それがわかっただけでも十分である。


 


炎天下の釣りがひと段落した頃、時刻は午後の1時をまわっていた。まっ赤に火傷した身体をもって、もときた航路を引き返す。そのあいだも、刃物のような陽射しが容赦なくオレたちの体を突き刺しつづけていた。ホテルのあるイタ・コラの岸が見えはじめたとき、ホテルの前でひとりの男がゆっくりとおおきく手を振っていた。


 


ボートが岸に付くと、その男がおおきなバケツを持ってボートにやってきた。なんと!・・・ドラードのエサが手に入ったという。バケツの中にはブスという体長20センチほどのウナギがたくさん入っていた。その男が手にすくい上げてオレたちに見せてくれた。これでドラードが釣れる・・・!


 


エル・ドラードへの道に、ひと筋の光りが射してきたのである。



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2007.03.19 Mon
エル・ドラードへの道-序幕



前日の夜にアスンシオンを出発し、国道1号線を南下して、パラグアイの西南端に近いピラールに着いたのは夜明け前の4時だった。こぢんまりとしたバスターミナルである。バスの窓口はすべて閉まっていた。ピラールに来るのは2度目だった。


 


オレは協力隊員の人たちと共に、第一次ドラード隊を結成した。メンバーは、スナヤマさん(17年度1次隊:小学校教諭)、コゴシさん(18年度1次隊:野菜)、シンヤさん(17年度2次隊:SE)とオレの4人だ。


 


ドラードとは、スペイン語で「黄金」を意味する。そしてその名のとおり、オレたちの求めるドラードは、黄金色に耀く魚である。おもに南米のパラナ河(ブラジル―パラグアイ―アルゼンチンにまたがる)に棲息している。ひと昔前までは数多く獲れたらしいが、最近では乱獲によりめっきり少なくなってしまったという。エサを食いついてからの引きの強さがハンパじゃないらしく、そのことから通称「河の虎」と呼ばれている。古くから現在にいたるまで、ドラードを釣ることが、釣り好きの人にとってのロマンとされる所以がそこにある。


 


オレたちが求めた釣り場は、イタ・コラという町だった。パラグアイのもっとも南に位置し、パラナ河を挟んでアルゼンチンと国境を接している。ということだけは地図で確認できた。小さな漁村であるということも容易に予想できた。だが、情報はそれだけだった。誰もその町を知らなかった。つまり、行きあたりばったりの行程だった。


 


パラグアイのドラードの釣り場としては、アジョーラスという街が昔から有名だった。しかし、ジャスレタダムができて以来、乱獲とあわせてドラードの数は極端に減少し、禁猟区域も増えてしまったという。また、その他にはセリートという街もそこそこ有名だった。両街とも、パラナ河を挟んでアルゼンチンとの国境に面している。


 


しかし、イタ・コラという町を知る人はほとんどいないと思う。地図にかろうじて地名がのっているような、そんな町だからだ。オレたちがあえてその町を選んだのには、とくに理由はない。地図を見ていて、たんなるインスピレーションでその町は決まった。


 


ピラールのバスターミナルで夜明けを待って、そこらにいた人に、「ここからイタ・コラ行きのバスってあるの?何時?」と訊いてみた。すると、あるにはあるがもっとも早いので午前11時発のバスだという。それでは遅すぎる。その日のうちに釣りができなくなってしまう。ということで結局、軽トラのタクシーでイタ・コラに向かうことになった。料金は交渉して150000グアラニー(約3000円)に決まった。ピラールからその町まで約1時間半かかるという。


 


夜が明けてじょじょに活気づいていくピラールの街並みは、トラックの窓から眺めていてとてもすがすがしかった。街路はキレイに整備されていた。しかし、ピラールの街を過ぎてからまもなく、道は一変した。景色は雑然とした草っぱらに変わり、水たまりがたくさんある凹凸の道が前方にいびつなかたちで延びていた。トラックにガタガタ激しく揺さぶられながら、オレたちはただひたすらにその道を前進した。途中で、牛乳のタンクを後ろの荷台に積んだ自転車や、大きな牛の群れとすれ違った。


 


それが、エル・ドラードへの道だった。



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2007.03.14 Wed
イタグアの家族⑬ 



大家族での食事は本当に楽しい!



P.S: Me voy al sur de Paraguay (Río Paraná) para pescar Dorado esta noche!



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2007.03.14 Wed
イタグアの家族⑫



パパはいつも食卓を楽しく盛り上げてくれます。



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2007.03.14 Wed
イタグアの家族⑪



ダイアナ、ママ、デイシーです。




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2007.03.14 Wed
イタグアの家族⑩



ダイアナもすっかり色っぽくなりました。まだ15歳ですが、さりげなくワインを飲んでいました。



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2007.03.14 Wed
イタグアの家族⑨



いたずら息子だったチキ!いまはすっかり好青年になりました。


 



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2007.03.14 Wed
イタグアの家族⑧



末っ娘のドリスです。ドリスはオレのいたころよりもずいぶん大きくなって、一段とかわいくなりました。



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2007.03.14 Wed
イタグアの家族⑦



パパとトオルさんが熱く語りあっています。パパは気持ちよく酔っ払って、「人生は一度だけだ。だからしあわせにならなくちゃだめだ。他の奴らが何と云おうとそんなのはかまうもんか・・・しあわせになれ!しあわせをつかめ!・・・きょうは私のいとしい息子たちがたくさん来てくれてホントウにうれしいんだ・・・!」と云っていました。この日、チリ産とアルゼンチン産のおいしいワインをいくつも空にしました。



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2007.03.14 Wed
イタグアの家族⑥


パラグアイの伝統料理のひとつである、ソパ・パラグアージャです。作り方は知りません。はじめて食べたときは、「なんじゃこりゃ・・・」と思いましたが、いまでは懐かしい味がするのです。


 



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2007.03.14 Wed
イタグアの家族⑤ 


歓談中のみなさん。ここ南米のパラグアイでは、食事中にトークと笑いが尽きることはありません。左から長女のデイシー、ママ、次女のダイアナ、トオルさんです。



 




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2007.03.14 Wed
イタグアの家族④



トオルさんとママがサラダを準備しています。


 



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2007.03.14 Wed
イタグアの家族③



庭でアサード(炭火焼肉)をするパパです。ママと末っ娘のドリスもいます。この肉がまたメチャクチャうまいんだ・・・!


 



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2007.03.14 Wed
イタグアの家族②



現在活動中の協力隊員のみんなです。左からセイゴくん(18年度2次隊:幼稚園教諭)、トオルさん(17年度1次隊:養護)、カズ(18年度1次隊:小学校教諭)、マキリさん(17年度3次隊:野菜)です。それに、シンヤさん(17年度2次隊:SE)もいます。セイゴくんは、やはり同じホームステイ先だったミドリさん(14年度3次隊:幼稚園教諭)の後任です。カズも、名誉ある初代のアキヒコさん(14年度1次隊:小学校教諭)の後任です。歴史があります。それにしても、時が経つのは本当にはやいものです。

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2007.03.14 Wed
イタグアの家族



現職参加のトオルさん(17年度1次隊:養護)がパラグアイでの任期を終え、3月18日に日本に帰国します。なので、イタグアのホームステイ先にお世話になった協力隊員のみんなが日曜日に集まって、トオルさんのデスペディーダ(送別会)をしました。ここの家族は、これまでになんと14人もの協力隊員を受けいれています。トオルさんは10代目です。そしてオレは、名誉ある2代目! これからもどんどん増えていくことでしょう。


 



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2007.03.10 Sat
国境の街


おととい、アマンバイ県のペドロファン・カバジェロというところに行ってきた。パラグアイの北西部に位置する国境の街で、バスでアスンシオン(首都)から片道約6時間のところにある。


 


ペドロファンはポンタポラというブラジルの街と国境をつうじて隣り合っている。なんの変哲もないフツウの道路が国境線となっており、そこにはイミグレも税関もない。ただツタツタと歩いていたら、いつのまにかブラジル側に来てしまっていた。なんの標識もない。


 


でもそこがブラジルだと薄々気づくのは、キレイに舗装された道路や、美しく整備された街路樹や、おしゃれな街灯や、ショウウィンドウの店が徐々に出現しはじめるからである。ペドロファンとポンタポラは境界線もあいまいに隣り合っているのだが、両街の違いは歴然としている。


 


国が変わるだけでこんなにも違うのか・・・!と思ってしまう。ポンタポラは、ペドロファンと違ってよりおちついた雰囲気を持っている。道端の物売りが少ないせいだろうか。コペティン(大衆食堂)で食べたエンパナーダ(肉の揚げ餃子のような食べ物)も、ブラジルの方が格段にうまかった。「ついさっきまでオレはいったいどこにいたんだろう?!」という不思議な感覚におちいる。隣の街に戻りたくなくなってしまった。


 


パラグアイは、ひとことで云うと「つかれる」国である。人も街も騒々しいし、道は赤土でデコボコが多いし・・・。国境線の道路(いわれなければわからない)を越えたとたんに、「あー・・・はじまった」とおもった。まず、CDやDVDのピラタ(海賊版)を売る店がたくさん並んでいるのが目につく。人も街もきゅうに田舎くさくなり、ショウウィンドウの店などはまったく見あたらない。


 


でも、両街の人の行き来は盛んらしく、ポンタポラでパラグアイ人の姿はあまり見かけなかったが、ペドロファンではブラジル人を何人も見かけた。しかも、両街ともポルトガル語が通常語となっているようだ。


 


しかし何といってもペドロファンの一番の驚きは、超スタイル抜群(世界一だとオレはおもう)の悩殺系ブラジル人女性がたくさんいることだ。はっきしいって、やばい・・・!やばすぎる・・・!あの美しさはかぎりなく神に近い美しさである。鼻血がとまらなかった。ブラジル移住を本気で考えた。


 


いま、いや以前からも、ブラジルという国にオレはとてつもない魅力を感じている。サッカー・・・カポエラ・・・美人・・・サンバ・・・ボサノバ・・・アマゾン・・・モルフォ蝶・・・ピラクルー・・・ヤノマミ族・・・パンタナル・・・リオデジャネイロ・・・フルーツ天国・・・ブラジルという国はいつも豊穣と魅惑にみちあふれている気がする。


 


さてペドロファン。ペドロファンはブラジルと国境を接していることもあり、麻薬の栽培が盛んである。特に、ペドロファンから数キロいったカピタンバードという街はマリファナの産地で超有名だ。ペドロファンからのバスは、アスンシオンに入る前に必ず警察の厳しい(傲慢な)チェックを受ける。


 


ともあれ、国境の街はやっぱりおもしろかった。



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2007.03.07 Wed
きょうは何の日♪ふっふ~♪

 


オレの誕生日だ。イエイ!


きょうで17才になりました。


こっちではまだ3月6日の夜だけど、日本ではもう3月7日の朝ですね。


やりたいことだけをめいいっぱいやって 大切な人をおもいっきり大切にして


これからもっともっと自由になってみせるぜ


しきそくぜーくーくーそくぜーしき・・・しきそくぜーくーくーそくぜーしき・・・色即是空空即是色・・・


                    

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2007.03.07 Wed
それでも世界は・・・


パラグアイで一緒にバカやった


あいつが死んだ


 


あいつがいなくなった日


地球の裏側のアスンシオンでは


 


いつものように


 


まっかな大地の天井に


キンキラキンの太陽がのぼり


まっさおな空が遠くまですみわたり


あかるい陽ざしに街はまぶしくかがやいていた


 


あいつがいなくなった日


世界は残酷に知らんぷり


 


あいつがいなくなった日


世界は微動だにしなかった


 


でも 



あいつがいなくなった日


世界は少しだけつまらなくなったろう


 


―バカだったあいつ―


 


あいつが大好きだった


南米の美しいこの国で


 


あたらしい祈りをささげよう





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2007.03.04 Sun
ローマプラタ④


やっぱりアサードです。ジュウジュウいっているのが聞こえてきそうです。ちなみに、こっちにいると、「日本では肉は1キロいくらなの?」とよくきかれます。日本ではグラム単位で肉を買うのが通常ですが、こっちではキロ単位がフツウです。現在は肉の値段が急騰してしまったので、1キロ=25000グアラニー(550円)くらいです。以前は1キロ=5000グアラニー(100円)くらいでした。いずれにせよ、パラグアイの食卓に肉は欠かせないものなのです。

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2007.03.04 Sun
ローマプラタ③


シンヤさん(17年度2次隊:SE隊員)の誕生日アサードです。パラグアイでは、誕生日にはアサード(炭火焼肉)をするのが通例となっています。ホームステイ先の家族の友だちや、協力隊員の人たちとフェステハりました。アサード奉行は、つねに写真のシンヤさんがつとめていました。ちなみに、こっちの人は火をおこすのがとても上手です。こんなに大胆なアサードは、おそらく日本では無理でしょう。

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2007.03.04 Sun
ローマプラタ②


ワニの肉をもち、満面の笑みの筆者です。魚のような生臭さがプーンとしました。それにしても、メノニータのウチは、チリ一つ落ちていないほどにいつも完璧に掃除がいきとどいていました。先住民のウチとのギャップがはなはだしく、それを体験するのも楽しみの一つでした。食べる前には必ず祈るのでした。

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2007.03.04 Sun
ローマプラタ


以前に紹介したワニの肉を料理しているところです。シンヤさん(17年度2次隊:SE隊員)のホームステイ先です。ひだりの男性がニキで、みぎの女性がサチコさんです。サチコさんは、しょうゆとみりんをベースとした和風から揚げをつくってくれました。バリうまでした。

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2007.03.04 Sun
フィラデルフィア


この日はとびっきりに天気がよく、空がおそろしいくらいに美しく澄みきっていました。前夜に南風が吹いて(日本と反対)、気温が急激に下がりました。まったくチャコの気候は予測不可能です。その日から3日間くらい寒い日がつづきました。毛布も何も持っていなかったので、夜寝るときには、Tシャツをぜんぶ(6枚くらい)だして、からだの各部にかけて寒さをしのいでいました。それでも、眠りにつくのはとても困難でした。写真の奥にみえるモニュメントが、フィラデルフィア(メノニータのコロニー)の入り口です。

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2007.03.04 Sun
コ・エンヘット・マイェット村③


こんどはサボテンの花です。チャコ地方には、サボテンをはじめとしてトゲ系の植物がたくさん存在します。やはり、強くなくては生きていけないのです。サンダルにトゲがぶっ刺さることや、自転車のパンクはしょっちゅうです。チャコの先住民の人たちは、サボテンを油で揚げて食べています。しかし、サボテンの花にお目にかかるのは初めてでした。運がよかったといえるでしょう。

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