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追越ノート―「ここ」から世界へ
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プロフィール

TAKESHI

Author:TAKESHI
下田にて

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「 2007年02月 」 の記事一覧
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2007.02.28 Wed
チャコの木漏れ日


きのうの夜明け前、アスンシオンに到着した。ひさしぶりに見る美しいパラグアージャたち。バスの物売りやチパ売りも健在だった。


この前の土曜日の銀婚式は楽しかった。150人くらいのパーティー出席者がいて、そのほとんどはメノニータだった。彼らはアルコールを飲まない。協力隊員の女性たちがバイオリンとピアノの演奏を披露した。その日の夜は、主催者が手配してくれたメノニータのウチに泊まった。


次の日の日曜日、シンヤさん(17年度2次隊:SE隊員)の誕生日パーティー。銀婚式に来てくれたマルセロ・ロハという有名なアルパ奏者が、なんとその日もそこに残ってくれて、誕生日パーティーにステキなメロディーを奏でてくれた。


日中の気温計は、45度をさしていた。メノニータと協力隊員をあわせて、ぜんぶで25人くらい集まった。みんなでアサード(炭火焼肉)を食らった。じゅーじゅー焼けたでっかい牛肉をばくばく食らった。チャコ地方には、メノニータ経営のエスタンシアとよばれる大牧場がたくさんある。だから、こっちの肉はアスンシオンなんかよりも数倍にうまい。やはり、炭で焼いた肉は格別である。しかも、チャコは乾燥しているから、ビールもとびきりにうまい。


チャコは魅惑の地である。この地域は、近年までまったくといっていいほど注目されてこなかった。しかし、だからこそ、手付かずの自然や動物がいまだにたくさん残っている。シンヤさんのホームステイ先には、おおきなカメが2匹いる。ふだんはどこを歩いているのかまったくわからない。でも、毎日決まった時刻に庭にあらわれる。水がないのに。なぜなんだろう!?不思議である。


そしてオレのいまの目標は、ドラードを釣ることである。ドラードを釣ってメキシコへ!夢はつづく・・・


 

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2007.02.23 Fri
同じような毎日をおくっているあなたへ


今朝、フィラデルフィア(メノニータのコロニー)のエンヘット族の労働地区(写真参照)から、ローマプラタ(メノニータのコロニー)へと荷物を引きあげてきた。そしていま、協力隊員(17年度2次隊)のシンヤさんのホームステイ先(メノニータ)にお世話になっている。


 


先住民の村でのフィールドワークは、とりあえずひと通り終了した。あした、ローマプラタのチョルティセール組合(Cooperativa Chortizer)の先住民対策課を訪れて責任者の人にインタビューをおこない、あさっての土曜は、シンヤさんのホームステイ先のパパとママの銀婚式のパーティーに参加し、次の日の日曜は、シンヤさんの誕生日を、ホームステイ先でアサード(炭火焼肉)をやって祝福する予定だ。あしたの夜に、パラグアイの各地から協力隊員の人たちが12人やってくる。


 


それがおわったら、いよいよ首都のアスンシオンへ引きあげだ。長かったような短かったような・・・。しんどかったような楽しかったような・・・。とにかく、アスンシオンにあがってからも、やることはたくさんある。アンドレス・バルベロ図書館(アスンシオン)やチャコの各地で入手した文献(40本くらい)をひたすら読みこむこと。と同時に、フィールドノーツの情報をもとにさらに考察を深め、問題を構造化していくこと。


 


いま、こっち(パラグアイ)に来てから、一日一日が実にめまぐるしくとおり過ぎてゆく。毎日が新鮮である。それはきっと、オレ自身がつねに「何か」を求めて「動いて」いるからだろう。オレは止まったら死ぬ。いつも動いてから考える。疾風怒濤バンザイである。


 


バスの車窓から望む、パラグアイ河の向こうに広がる真夜中のアスンシオンの灯は、ひさしぶりのオレの目にどう映るだろう。


 


楽しみである。



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2007.02.15 Thu
私の本たち


『坊ちゃん』(夏目漱石)


『ライ麦畑でつかまえて』(J.D.サリンジャー)


『書を捨てよ、町へ出よう』(寺山修司)


『潮騒』(三島由紀夫)


『竜馬がゆく』(司馬遼太郎)


『青春を山にかけて』(植村直己)


『青年は荒野をめざす』(五木寛之)


『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)


『69』(村上龍)


『印度放浪』(藤原新也)


『人間の土地』(サンテグジュペリ)


『敗れざる者たち』(沢木耕太郎)


『ぼくの音楽武者修行』(小澤征爾)


『オーパ!』(開高健)


 


私の人格形成に強い影響を及ぼした本たちです。かなり刺激が強いと思われますので、上記の本を一気にお読みになるのはお控えください。なお、23歳以上の方がお読みになっても、効果はほとんど期待できないと思いますのであしからず(対象年齢:17才―23才)。


 


ちなみにこっちにきて読んだ本は、


 


『坂の上の雲』(司馬遼太郎)


『竜馬がゆく』(司馬遼太郎) 3回目


『燃えよ剣』(司馬遼太郎)


『愛と幻想のファシズム』(村上龍)


『KYOKO』(村上龍)


『誰にでもできる恋愛』(村上龍)


『少年』(ビートたけし)


『ノルウェイの森』(村上春樹) 2回目:途中でつまらなくなって放棄


『夢見通りの人々』(宮本輝)


『風の又三郎』(宮沢賢治)


『モーターサイクル・ダイアリーズ』(エルネスト・チェ・ゲバラ) 2回目


Otra Vez』(Ernesto Che Guevara


『何でも見てやろう』(小田実)


 


ってなところです。



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2007.02.14 Wed
♪お祝いの辞♪


2月10日に結婚式をあげたみーくんとへいよんへ


ぼくはいま、チャコ地方という日中45度の灼熱の土漠のなかに暮らしています。日中はぶっ倒れたくなるくらいの暑さですが、夜のプラネタリウムは美しいです。毎日雨水をためて飲んでいます。あつかいかたがあまりよくないので、いつも水は濁っています。「ひとりウルルン」ってかんじです。


そうそう、みーくんが、ぼくが協力隊でパラグアイへ派遣される前にくれた、「KIKUCHI TAKEO」のグレーのタンクトップ、おぼえていますか。夜はいつもそれを着て寝ています。色といい耐久性といい、ぼくにとってサイコーのアイテムです。ありがとう。


へいよん、おなじくぼくがパラグアイに旅立つときに、相田みつをの詩集をくれました。任地では、なんどとなくそのコトバに助けられました。ありがとう。


お祝いのコトバとして、吉野弘の『祝婚歌』なんかをささげたいところですが、それをする人はおそらく日本にゴマンといるとおもいますので、やめときます。ただ、ひとつ云うことがあるとすれば、


しあわせは いつも 自分の こころが きめる


という相田みつをのコトバを、ぼくもたまぁに、ひっそりと汲むことがあるということです。


あなたたちなら、きっととってもやさしい家庭をきずくことができることとおもいます。これからの人生も、これまでと変わることなく気楽に過ごしていってください。


あめでとう。


                                      熱風の南米大陸より 心をこめて                                        TAKESHI


 

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2007.02.13 Tue
それでも世界はまわりつづける


オレがアスンシオンを発つ前日、日本人のA氏(76才)が射殺された。A氏は、はまなすセンターでオレの前の部屋に住んでいた人で、日々顔を合わせていた。聞くところによると、ペルー大使館占拠事件のときに軍の指揮を執った人で、元自衛隊の教官だった。著書もいくつかあった。


 


A氏は弟子の人一人を連れて、セントロの「チャカリータ」地区と呼ばれる、大統領官邸の隣に広がる貧民街に入っていった。そこでピストルを持った住民に襲われ、抵抗した末に頭に銃弾を2発くらった。重体の状態で病院へ運ばれ、そこで息をひきとった。パラグアイに永住して、弟子の人と武術の道場を営む予定だった。


 


出発の前日、突然にA氏の事件を知らされたとき、オレは戦慄を隠せなかった。オレたちはつねに死と隣り合わせにある。それはまぎれもない事実だ。きょう元気だった奴が、あした死んでも別段おかしいことではない。むしろ、死はいつもそうやって、予期せずにやってくる。オレのいままでの経験でもそうだった。きょうと同じ日が、あしたもつづくとは限らないのだ。


 


しかし、日本に暮らしていては、そういったことを認識するのは非常に難しい。ほとんどの日本人は、海外で日々おこっている戦争や殺人や貧困の問題を、TVを通じて「風景」として観ている。自分とはまったくかかわりのないものとして。日本は、それほど「平和」な国なのだ。それは、ある意味すばらしいことである。水と安全がタダの国など、世界中を探しても、数えるほどしかない。


 


しかし、「無知」であっていい、というわけにはいかない、とオレは思う。「無知」は罪だ。「無知」とは、情報をもっていない、ということではなく、情報を得ようとしない状態(態度)をいう。そして、そうした状態(態度)は往々にして、危機感の欠如から。「無知」とは恐ろしい。


 


TVや雑誌、ラジオ、新聞を通じてお茶の間にとどく情報は、すべて「リアリティ」が死んだ状態で、オレたちのもとに入ってくる。TVの映像は、情報の一部にすぎない。しかも、「リアリティ」は情報と一緒にはとどかないのだ。「リアリティ」とは、知識だけをさしていうものではなく、実感をともなうものである。つまり、ニュースを聞いただけでは、そのことを「知った」ことにはならないのである。しかしだからといって、今すぐに海外の紛争地域に行ってその「リアリティ」を「知れ」、というのではない。


 


ニュースはすべて嘘だ、という認識をつねに持つべきだと思うだけだ。ニュースは所詮、モノゴトの表層だけしかオレたちに伝えることはできないのだから。


 


                                 ペセンポー村(ローマプラタ)にて




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2007.02.06 Tue
天球の下に


ジャルベサンガ村で暮らした3週間は決して楽なものではなかった。


 


特にはじめの1週間はキツかった。日中は45℃近くまでいった。夜は30℃くらいだった。クーラーはもちろんのこと扇風機もない。シャワーがあるはずもなく、近くにあるアルヒーベと呼ばれる貯水型井戸でバケツに水を汲んで、それで身体を洗ったりしなければならなかった。身体と髪を洗うのにちょうどの水量は、バケツ1杯半だとわかった。はじめの頃はバケツ2杯分ほど使っていたが、徐々に「適量」というのをおぼえていった。水は大切だった。無駄使いしたらすぐになくなってしまい、またアルヒーベから汲んでこなくてはならなかった。


 


メシは基本的に昼だけだった。ギソと呼ばれる米と油と肉で煮込んだ食べ物。それが3週間つづいた。ウンチやオシッコは、3日に1回くらいしかでなかった。ギソによって得たエネルギーは、すぐに消費されてしまっていたのだろう。村にはたいした娯楽もなかった。毎晩サッカーをやるくらいだ。アルコールやトランプも禁止されている。いつもテレレばかり飲んでいた。


 


バッタの大群が飛び交う夜をいくつか経験した。とても払い落とせる量ではなかった。深夜寝ているとき、いきなりスコールが襲ってきたことも3回くらいあった。だが、次の日はウソのような快晴なのだった。蚊にもアリにも悩まされた。日中はいろんなところを回ったり、各家庭を訪ねて話を聞いたりで、ウチに帰ってくるといつもクタクタだった。おまけに夜には、その1日のフィールドノートをつけねばならず、結局眠りに就けるのはいつも夜の1時くらいだった。汗がダラダラで、さらに空腹が大脳に応えた。


 


しかし、しんどいことばかりではなかった。そうした生活も、1週間も経てば慣れる。夜は、ベッドを部屋(というより小屋だが・・・)の外に出して蚊帳をはって寝た(写真参照)。部屋の中では暑苦しくてなかなか寝付けないからだ。そして夜のジャルベサンガは格別だった。いつも視界には満天の星空があった。毎日がプラネタリウムだった。ベッドに横になってプラネタリウムを見つめていると、いま自分がいるこの地球が、とてつもなく広大な天球に覆われているという感覚に襲われる。天球の美しい星たちのまばたきは、毎晩オレが眠りに就くまでつづいた。


 


オレはベッドに横になると、いつも「南十字星」を探した。耀かしいサザンクロスは、いつも大きな「天の川」の端にあった。天の川は、いつも向こうのウチからはじまって、反対側のずうっと向こうのウチでおわっていた。天の川が本当に「川」だと知る人は日本にどれくらいいるだろうか。サザンクロスからミルキーウェイをずうっと向こうの方へとたどっていくと、そこには大きなオリオン座がそびえている。ジーっと暗く美しい天球を見つめていると、ゆっくりとした定期的な速度で動く星を見つけることができる。それが人工衛星だ。寝る前の天体観測はいつもそんな感じだった。それは贅沢な時だった。昼間の疲れが自然にゆっくりと安らかに癒された。オレたちは巨大な天球の下にいる・・・そうやっていつの間にか眠りに落ちていった。


 


そしてオレは、明日から再び先住民の村に行く。同じエンヘット族の村なのだが、環境が大分違う。次のフィールドは、メノニータ(ドイツ系移住民)のコロニーの周辺に位置しており、通称「労働キャンプ」や「労働地区」と呼ばれている村々である。ローマプラタ周辺のペセンポーという村で約10日間、フィラデルフィア周辺のミッション・エンヘットという村で約10日間、住み込みで調査してくる予定である。


 


しんどいときや辛いときは、いつも「般若心経」を読むことにしている。四国八十八ヶ所を巡礼していたときにできたクセだ。そうすると不思議と心が安まる。また、オレの大学院のゼミの先生のコトバも、いつもフィールドでの励みとなっていた。


 


一般的な意味で私が人類学を志した理由は、現実社会の実態を自ら経験して、知りたいということであった。平たくいえば、現場を知らなければならない、現場を知ったうえで、理論や現状への対応策を考えられないかということだった。理論的な学問には集中力が要るが、自分にとってはやはり知的娯楽というカテゴリーを脱しない。しかし、問題意識をもって行なうフィールドワークはまさに「苦行」である。少なくとも私にはそうであった。それでも、フィールドに向かうのは、理論と現実を生きようという意志、理論と現実を自分の身体と頭脳のなかで、それこそ弁証法的に止揚させることであった。(前川啓治 2004 『グローカリゼーションの人類学』より)


 


ではいってきます。また!




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2007.02.02 Fri
シウダー・デル・エステ②


「友情の橋」のちょうどまん中あたりの踊り場です。


みんな必死に巨大な荷物を絡げています。エステで買った電化製品などを密輸する人たちです。あるいは・・・マリファナ・・・とかも入っているかもしれません。いつもこんなんです。がんばれー!


向こう側にみえるビルが、シウダー・デル・エステの街です。


 

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2007.02.02 Fri
シウダー・デル・エステ①


ブラジルとパラグアイを結ぶ「友情の橋」です。ブラジル側に向かって歩いている人たち。下にはパラナ河が流れています。


左側では車が渋滞しています。右側の橋の欄干が低いでしょう!?いったいここで何人の人がマフィアによって下に落とされたことやら・・・。風邪も強いので少し怖かったです。


空は限りなく透明に近いブルーです。



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