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追越ノート―「ここ」から世界へ
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プロフィール

TAKESHI

Author:TAKESHI
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「 2006年07月 」 の記事一覧
2006.07.27 Thu
留学先決定

今日、外務省で渡航前説明会があった。
そして、やっとこさオレの留学先が決定した。

ユカタン自治大学(Universidad Autonoma de Yucatan)

手元の研修先リストにざっと目を通す。
留学者数は全部で49人。ユカタン自治大学は・・・オレだけだ!・・・
ほとんどの人が、首都メキシコシティーのメキシコ自治大学(Universidad Nacional Autonoma de Mexico)で、そうじゃない人も若干いるが、それでもメキシコシティー内の大学か、遠くてもグアダラハラ州の大学。

オレだけが首都からかなり遠く離れたユカタン半島にとばされた。まさか一人とはかなり意外だったが、ムチャクチャうれしかった。

ユカタン自治大学はオレの第一志望だったし、近くにマヤ遺跡があって人類学がさかんなのだ。ユカタンは、メキシコシティーのように人口と車が超多くて大気汚染がひどく、高地で空気が薄いようなところではない。温暖な気候で、なんといっても「海」に面している!しかもカリブ海!!超高級リゾート地のカンクンまですぐのところに大学がある。地理的には、メキシコシティーよりキューバやマイアミのほうが近いのだ。

留学者は、大きく3つのグループに分けられる。研究・調査目的(スペイン語習得者)のAグループ、スペイン語習得目的のBグループ。中央官庁出身のCグループ。オレはもちろんAグループなのだが、会場にはいろんな出身の人がいた。大学生はもちろんのこと、外務省や経済産業省、警視庁や警察庁、東京入国管理局や日本サッカー協会、民間企業の野村證券などから休職参加していた。これらCグループの人たちのほとんどは、スペイン語習得のためにメキシコに留学する。

・・・実をいうと、少し微妙なのだ。
なぜなら、Cグループの彼らは「国家の手先」だからである。とくに、警視庁、警察庁、東京入国管理局って・・・。ちょー堅そうだし、ギャグ通じなそうだし、もし麻薬やってるの見つけたらマジ切れ&即チクルようなやつらでしょー(しょっぱなからちょー偏見)。彼らはまさに、オレのような「自由」の申し子とは対極の位置にある人たちなのだ。

なぜそんなことを心配するのかというと、オレにはさっそく難関が待ち受けているからだ。そもそも、オレの研究テーマはパラグアイ・チャコ地方の先住民である。したがって当然、大学の夏季休暇などを利用して、パラグアイの現地ににフィールドワークに行かなければならない。でないと修論が書けない。それはいわば、今回の留学の絶対必要課題なのだ。

しかし、である。メキシコ国内はいくら観光してもかまわないのだが、国外への渡航は基本的に禁止されている(という説明を今日繰り返し強調していた)。というのも、政府の交換留学プログラムだから、奨学金(つまり、メキシコ国民の税金)は、できるだけメキシコ国内で落としていってほしい、というのがメキシコ政府の意向だからである。

したがって、どうしてもパラグアイに行きたいとなれば、大使館に何とか交渉して、懇願して、また交渉して、最終的に公式な許可を得てパラグアイへ行くか、それとも非公式に行くかのどちらかしかない。どちらにするかはおそらく今後の状況しだいなのだが、後者になる確率がかなり高いと思う。

じゃーなんでパラグアイじゃなくてメキシコに留学したのかという問いに対しては、長くなるのでここで詳しくは説明しない。だが、単純明快かつ正確な答えをズバリ云うと、「日本から脱出できれば」どこでもよかったのだ。

ただその一心に、オレは一年間苦心を費やしてきた。きっと一年後帰国したら、オレはまた同じことを考えるだろう。さらに云えば、パラグアイには人類学を学べる機関は全く存在せず、政府の奨学金プログラムも一切行っていなかった。それにくらべ、メキシコは奨学金プログラムが充実していた。


いずれにせよ、こんなちっちゃな島国だけに興味はない。
世界はもっともっと広いのだ。


「日本人」としての誇りは模索するが、それは「世界」と対峙したときの「日本人」だ。「日本の中の日本人」ではない。「世界の中の日本人」、それなのだ。




P.S: 渡航前にお祝いしてくださったみなさん、およびギジェルモをはじめとして当ブログにコメントをくださった協力隊のみんな、あたたかいオコトバありがとう!とってもうれしいです。お互いがんばりましょう。



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2006.07.22 Sat
旅するポエム⑤

ひとりぼっちのエール―FOR MY LIFE


ほしくない

安定した地位も

漠然とした名誉も

必要以上のお金も


ぜんぶいらねぇ!


正直者はばかをみる

とは誰が言ったか


いつも自分に飢えている

つねに怒りを忘れない

いつも不器用 精一杯


そんな自分にあこがれて


何ごとにも屈せず

何ものにもとらわれず


もっともっと ばかであれ

もっともっと つきやぶれ

もっともっと ぶちこわせ


自分が自分であるために


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2006.07.20 Thu
旅するポエム④

SOYA岬の空に


オマエはオマエでいいのだ

もっと遠くへいけるはずだと

目の前の リアルな海が

強くオレを誘っている


常識にしたがうまえに 天にしたがいなさい

天はいつも オマエの内にありますと

目の前の リアルな空が

やさしくオレをさとしている


終わりなんてなかった


目的地にたどり着いたとき そこはすでに

始まりの場所だった


すべては ここから はじまる

さあ ここから はじめよう


                  
―2002年8月14日  自転車で日本縦断を達成したときに


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2006.07.20 Thu
海、海・・・そして海

今日の午後2時頃につくばに戻ってきた。
連日の列車移動と野宿とで、いま身体が疲労困憊しきっている。

今回の旅のスポットは、京都と尾道としまなみ街道と松山。
どれもメキシコに行く前にどうしても訪ねておきたい場所だった。

京都の東山霊山には、幕末の志士の墓がある。
坂本竜馬や高杉晋作のお墓にあいさつをしてきた。

尾道は林芙美子の古里である。
もう、これで何度目の尾道になるだろう。
海があって街があって坂がある。
そしてラーメンがうまい。
オレが日本でもっとも好きな街のひとつだ。

しまなみ街道は、オレの先祖の村上水軍がねむる場所。
源平合戦の頃から戦国時代にかけて瀬戸内海と東シナ海に覇をとなえた戦国最強の海賊。その歴史を知ってあらためて感動した。戦国時代、当主の村上武吉はどこの大名にも属さず、その自由な手腕をかって「海の大名」と呼ばれていた。織田信長が九鬼水軍を率いて西国制圧をもくろんだとき、毛利元就に味方してそれを撃退したのが村上水軍だった。

日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破って世界を轟かせた東郷平八郎。彼の用いたT字戦法が松山出身の秋山兄弟によって考案されたことはよく知られている。しかし、その秋山兄弟の海上戦術の大元が、村上水軍の「水学」書にあることを知ったときはさすがに驚いた。

松山は『坊ちゃん』の舞台、そして道後の湯。
ここもオレのお気に入りの街で、もう何度も訪れている。
ここにきたらまず、道後温泉の神の湯に入るのがいつもの定番だ。

そして帰り道、もう一度京都によった。
匂い袋や風呂敷包み、財布に扇子など、たくさん京都の品を買った。京都の色や京都の匂いがオレは好き。それは日本の色や日本の匂いでもあるのだろう。海のむこうの人たちにもぜひ見せてあげたいと思う。


今回の旅のキーワードは「海」だった。
瀬戸内海やその島々は本当に美しかった。この広い海原を、そのむかし先祖の村上水軍が飼い馴らしていたのだとおもうと、実に感慨深いものがあった。

坂本竜馬もまた、海にあこがれた男だった。神戸に勝海舟と「神戸海軍操練所」を設立し、海援隊を組織して日本海軍の母体をつくった男。彼の幕末の舞台もまた、瀬戸内海であった。

「宿命的に放浪者である」林芙美子にとって、尾道は特別な場所だった。彼女の『放浪記』にはこんな一節がある。

「海がみえた。海がみえる。5年振りにみる尾道の海はなつかしい」

オレは卒論で林芙美子の『放浪記』を扱った。「移動」と「空間」をテーマにしたその研究は、いま思えば「自分」についての研究であった。

そして、今回の旅に携帯したアルチュール・ランボーの『地獄の季節』。汽車の中でそれを読んでいて、次の一節がオレの目を引いた。

「俺は旅をして、この脳髄の上に集まり寄った様々な呪縛を、祓ってしまわねばならなかった。俺は海を愛した。この身の穢れを洗ってくれるものがあったなら、海だったに相違ない」

     「また見つかった、
         ――何が、――永遠が、
                海と溶け合う太陽が」

旅はオレに万巻のものを教えてくれる。
そこで学んだ何かは、いまも身体にしみこんで、オレの人生の動機となっている気がする。

そう、

いつも海のむこうにあこがれて・・・



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2006.07.15 Sat
旅するポエム③



空のむこうにあこがれて
空のむこうにきたけれど
空はどこまでつづくのか

見知らぬ街にさそわれて
見知らぬ街にきたけれど
次へとつづく道がある

だれかに会いにきたけれど
だれかはどこにいるんだろう

自分をみつけにでたけれど
自分を失いすぎてゆく


―2000年2月22日


P.S: いまからちょっと瀬戸内のほうに旅にいってきます。日本の美しさを「発見」してくるよ。なお、携帯電話はもっていきませんのであしからず。携帯本は、アルチュール・ランボーの『地獄の季節』。   じゃ、ばいばーい!



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2006.07.14 Fri
旅するポエム②
旅人

見知らぬ街を訪れたなら
その街になりきってしまうがいい

見知らぬおばさんが こんにちはと声をかけてくれたなら
であった人々に こんにちはと声をかけていく

その街には その街の色があり 人がある

混ざりながら 通りすぎていく
いつも自分の色をさがし求めながら


―2000年2月21日(月)


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2006.07.11 Tue
「伝説」になれなかった男

コパデルムンド2006 ドイツ大会
今回の大会のMVPがFIFAによって発表された。

ジネディーヌ・ジダン

彼がボールを持ったとき、ピッチ上にはゆっくりとした時間が流れていた。
華麗なドリブルで簡単に相手を抜き、正確すぎるほどのフリーキックでチャンスメイクをした。
彼のプレーには無駄な動きがなにひとつなかった。

「ジダンは絶対に倒れない」 ― アピールプレーが常識とされるサッカーにおいて、彼は絶対に相手のマークに倒れることはなかった。

「ジダンは絶対にはずさない」 ― 彼がペナルティーキックを打つとき、どうがんばっても彼がゴールをはずすシーンを思い浮かべることはできなかった。

彼のプレーは非の打ちどころがなく、そして美しかった。
ジダンはまさに、フィールドのアーティストだった。

イタリアVSフランスの決勝戦を観ているとき、彼のすごさをいやというほどわかっていながらも、そして彼のいるフランスが優勝するだろうと本心では思いながらも、たのむからイタリアに勝ってほしいと懇願する自分がいた。「ジダンの大会」にはなってほしくなかった。そう思っていたのはオレだけだっただろうか。

オレにとって、「天才」は称賛しやすいが、「完璧」は享受しがたいものだった。

ディエゴ・アルマンド・マラドーナが「伝説」となったのは、彼が「天才」であると同時に「欠陥」をともなう人間であったからである。彼は決して「完璧」なプレーヤーではなかった。

ジダンは今回の大会を最後に現役引退を表明していた。大会前、優勝候補とはほど遠い位置にあったフランス。予選で苦戦するも、決勝トーナメントでブラジルとポルトガルを破り、決勝進出を果たした。そして、ジダン最後の舞台が、コパデルムンドの決勝戦だった。すべてが整っていた。これほどできたシナリオはなかった。

試合前半、フランスはフリーキックを獲得する。キッカーはジダン。イタリアGKブッフォンの逆をつき、憎らしいくらいの美しいシュートを決めた。

しかし、昨日のジダンは、いつものジダンとあきらかに違っていた。
「絶対に倒れない」男が、ゴール前で簡単に倒れて必死にアピールをしていた。
「絶対にはずさない」男が、相手プレーヤーの挑発にのって頭突きを食らわしていた。

ピッチというキャンバスは荒れ、そこにアーティストの姿はなかった。

試合後半に、ひとつ象徴的なシーンがあった。
右サイドにかけあがったフランスの選手がセンタリングを上げ、フリーだったジダンが強烈なヘディングシュートをしたシーン。あの時オレの脳裏を横切ったのは、1998年のフランス大会決勝で、ブラジルのゴールに先制点を叩き込んだジダンの姿だった。半ば空中に浮いた彼のヘディング姿は、あの時の彼の姿と見事に重なった。

フランスはPKで負け、ジダンが「伝説」になることはなかった。

なにが彼に足りなかったのかといえば、うまく答えることはできない。しかし、なにが彼をそうさせたのかといえば、「完璧」さであったのかもしれない。


「天才」であるだけでは、人は「伝説」になることはできない。
「完璧」なプレーヤーもまた、「伝説」になることはできないのだ。



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2006.07.04 Tue
ジョカトーレの引退

昨夜、中田の現役引退表明が発表された。
一夜明けた今日、スポーツ紙やTVでは、その話題で持ちきりである。

だが、大して驚くべきことではない。
それよりも、アルゼンチンとブラジルがベスト8で姿を消したことのほうが、よっぽど残念だ。

引退の件に関しては、時期を得ているなって思った。
冷静にみて、中田のサッカーパフォーマンスは、ボローニャに移籍した頃から年々確実に落ちてきていたし、ボルトンでも控えに甘んじることが多かった。だから、正直ここらが「中田の」引き際なのだろうと思っていた。

「まだぜんぜん現役でプレーできるのに!」
と云う人はたくさんいる。その意見は間違っていない。でも、正確でもない。「まだぜんぜん現役でプレーできる」というのは、所詮Jリーグでの話だ。世界のトップリーグでは、あきらかに彼の出番は限られてしまっていた。

中田の引退は、日本代表にとってはとてもいいことだと思う。
これまでの日本代表は、中田に依存しすぎた。それほどまでに彼の存在は日本代表にとって大きかったのだが、しかし裏を返せば、中田がいなくてはだめなような代表チームではだめなのだ。

いつかは中田にも日本代表を引退するときが必ずくる。それはもしかしたら4年後だったかもしれないし、ひょっとしたら8年後だったかもしれない。でもそれは今年だった。ただそれだけのこと。

少し早かった。でも、早ければ早いほどいい、とオレは思う。少なくとも日本代表にとっては。

中田不在となったこれからの日本代表が楽しみだ。
これからが、日本代表が本当の意味で試されるとき。それはつまり、個々のプレーヤーの真のパフォーマンスが試されるときでもある。 (オレはその試合観ないけれど)


なお、中田についてもっと詳しく知りたい人は、小松成美の『中田英寿 鼓動』(幻冬舎文庫)を読むといいだろう。


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2006.07.01 Sat
史上最悪の采配

コパデルムンド2006 ドイツ大会
準々決勝 ドイツVSアルゼンチン

これほど待ち望んだカードはなかった。
今大会のコパデルムンド最高のカードだった。

今大会中、最も勢いに乗るチーム同士の対戦。
ヨーロッパと南米の古豪対決。
ドイツGKレーマンとアルゼンチンの司令塔リケルメの再戦(両者は、今年のチャンピオンズリーグ準決勝で対戦し、リケルメはレーマン相手に痛恨のPK失敗を記する)。

そしてそれは、
マラドーナ対ベッケンバウアーの因縁の戦いでもあった。
両者ともかつては偉大なサッカー選手でありながら、現在の立場は実に対照的である。大会組織委員長となったベッケンバウアーと、熱狂的な一サポーターとなったマラドーナ。


コパデルムンド1986 メキシコ大会
「神の手」や「五人抜き」など数々の伝説を生み出したこの大会は、決勝でアルゼンチンが西ドイツを3-2で破り優勝した。「ディエゴ・マラドーナの大会」と呼ばれた。

コパデルムンド1990 イタリア大会
2連覇を狙うアルゼンチンは、決勝で再び西ドイツと激突する。アルゼンチンは退場者を2人だし、1-0で西ドイツに敗れる。マラドーナはまるで子どものように泣いていた。その時の西ドイツの監督が、フランツ・ベッケンバウアーだった。


そして昨日の試合。
前半はお互いに力が拮抗していた。そして後半、リケルメのコーナーキックを、アジャラがドイツのゴールに叩き込む。そしてアルゼンチンは後半20分まで持ちこたえた。そう、いつものように。

しかし、そこから不可思議な事態が起こる。
メッシではなく、クルスの投入。そして、リケルメの交代。オレには監督のすることのすべてが理解できなかった。あきらかに、1点を「守りきろう」としていた。 失望した。

コパデルムンドは、「守りきろう」として勝てるような大会では決してない。
しかも相手はドイツだ。コパデルムンドをなめているとしか思えなかった。オレの予想は最悪なかたちで的中した。クローゼに、意地のヘッドで絶望的な1点をもぎ取られる。
そして、アルゼンチンの手元に、もうカードはなかった。

ベンチに残った、メッシとサビオラとクレスポとリケルメとアイマール。
こんなにむなしい試合をオレは観たことがない。
こんなに悔しい試合を、オレは知らない。

カンビアッソがPKをはずし、アルゼンチン代表のコパデルムンドは終わった。
マラドーナのコパデルムンドも終わってしまった。
ベッケンバウアーが来賓席で新妻と大喜びしていた。
マラドーナの映像は、一度もTVに流れることはなかった。

試合終了後、両チームに乱闘が起こった。
コトバに云いあらわせないくらいの脱力感。

今頃、ブエノスアイレスでは暴動が起こっているだろう。
たのむから暴動が起こってほしい、心からそう思った。

あの監督が犯した罪は、とてつもなく大きい。
世界中のサッカーファンを失望させたあの采配。
オレはあの監督を絶対に許さない。

監督にしか、当事者にしかわからないことがある。 でも、
監督だから、当事者だからこそわからないこともあるのだ。

あの試合、後半20分を過ぎたころ、ピッチ上のアルゼンチンの選手に、最も的確で最も妥当な采配を下せたのは、TVの前の視聴者ではなかったか。


「リオネル・メッシの大会」は、露と消えてしまった。


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