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追越ノート―「ここ」から世界へ
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プロフィール

TAKESHI

Author:TAKESHI
下田にて

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「 2006年03月 」 の記事一覧
2006.03.28 Tue
キューバは貧しいか!?〔2〕
キューバの首都ハバナの観光地は新市街(Habana Nuevo)である。

数多くの観光客がそこを訪れ、時おりキューバの音楽であるサルサが路上で演奏されたりもしていて、いかにも観光客向けの「キューバらしさ」をアピールしている場所であるといえる。品のよさそうなホテルやレストランもそこに散在している。

しかし、本当の「キューバらしさ」はそこにはない。じゃあ、新市街は偽のキューバなのかというとそうではない。どちらも本当のキューバなのだが、キューバ人の庶民の生活を垣間見るのならだんぜん旧市街(Habana Viejo)だ。

ここは観光客があまり訪れない。そもそも観光客が好きそうな「何か」はここにはない。ここで目にするのは太って強そうな女たちと、外に干してある洗濯物と、路上でふざけまわる子供たちと、街路に座ってヒマそうに閑談する男たちの姿だ。ここらを歩いていると、必ず誰かに声をかけられる。オレはこれを機に、キューバの生活についてとか、日本についてとか、ベースボールについてとか、カストロについてとかのはなしをした。キューバ人のしゃべりはとてもはやい。そして声質にある種のすご味がある。古くて歴史のある建物に囲まれて見上げた空は、きれいに澄んでいた。

映画『ブエナビスタ・ソシアルクルー』の一場面は、ある建物の二階にあった。そこのベランダから見える旧市街。雑然としているがうるさくなく、そして得も云えぬ明るさがただよっている。それがこの街の雰囲気だ。


友人との待ち合わせは、革命広場だった。だだっ広い平面。国防省の建物にはチェ・ゲバラの大きな肖像がある。

二人乗りの自転車タクシーに乗った。過ぎ行く街並みや人々の様子を堪能するのに最も適した速度。これがなんともいえない。タクシーは本来目的地に行くための手段であるが、この時はそれ自体が目的になっていた気がする。

かつてヘミングウェイが毎日通っていたバーの二階でキューバリブレとモヒートを飲んだ。どちらもラムをベースとしたキューバの飲み物だ。


カリブ海に面したバラデロには真っ青な海と空、そして静かな陽光だけが存在していた。きっとそれ以外は立ち入り禁止だったにちがいない。


ハバナ最後の夜は、キューバ最後の夜だった。
オレは近くのホテルから、ある女の子に電話した。協力隊のとき任地の市役所ではたらいていたパラグアイの女の子。彼女はいまもハバナにいる。

キューバはラテンアメリカの各国から奨学制度を設けて医者を志す人をたくさん受け入れている。その大学がハバナ市内から少し離れた郊外にある。彼女はそこの学生だった。

海岸線に面したその街は、週末ということもあってたくさんの学生で活気に満ちて盛り上がっていた。街のあちらこちらからサルサの音楽が流れてくる。オレたちはさっさと食事をすましてディスコへ行った。

キューバ人の踊りはすごい。からだ全体で解放感を思う存分にアピールしている。「解放」というのは「束縛」があってはじめて成立する。彼らを日々縛っていたものとはいったい何だったのか、それはわからない。でも「戦う」ことなくして「解放」は生まれない。彼らの踊り(バイレ)は、「何か」と戦っている姿そのものだった。

そしてひとつ学んだ。
「踊り」(バイレ)とは「戦い」だということ。
この「戦い」は結局は負ける。でも、戦いつづけているかぎりは決して負けない。だから踊りつづける。汗をにじませながら、時にアルコールをからだに入れながら、必死に「何か」と戦いつづける。でも結局は負ける。そして疲れて果てて途方にくれてしまうのだが、その負けをリベンジするためにまた戦う。こうして踊り(バイレ)はつづくのだ。

ハバナ市内へはバスで戻った。グアグアと呼ばれるキューバ人のバス。途中からわんさか人が乗ってきて、大声でしゃべりまくったり、うたいまくったり、キスしまくったり、いちゃいちゃしまくったりで、こんなにやかましいバスははじめてだった。でもこんなにサイコーのバスもはじめてだったと思う。


日本に帰国して数ヶ月たったある日。
レンタルビデオショップで『サルサ!』というビデオを見つけて、思わず借りてしまった。だれが監督でだれが主演だったのかは覚えていない。フランス人の天才ピアニストである主人公の青年が、コンサート中にそれまで演奏していたバッハの曲を突然中断し、とり憑かれたようにサルサを弾きだすシーンからその映画ははじまる。

その時の彼の姿は、あの時のキューバ人の踊る姿にあまりにもよく似ていた。


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2006.03.24 Fri
キューバは貧しいか!?〔1〕
WBCの決勝で日本がキューバと対戦することになって、TVやマスコミもあわててキューバの資料をかきあつめ、付け刃的にキューバについて放送していた。

そこで打ち出されていた一面が
「社会主義国としての貧しいキューバ」だった。

ベースボールは確かに強いが、そのための道具を手に入れるのがままならない。よくありがちな、物質的貧しさをがんばって強調していた。

マスコミはバカだから、現実の一面を切り取って、最新の技術を駆使してがんばってデフォルメ化する。それを鵜呑みにする視聴者はもっとバカで害ですらあるのだが、そのはなしはここではしない。

そういうオレも、現実の一面を切り取って最新の技術を用いずに、がんばらずにデフォルメ化するけれども、それがオレの直観した「本当」であるのは確かなことだ。


キューバは貧しいか!?


という命題に答えるためには、まず
「貧しさ」とはなにか!?
という問いから始めなければならない。

キューバが日本と比べて物質的に乏しいのは確かだった。
オレは 数日間キューバに滞在したことがあるが、いわゆる「電化製品」なんてものはほとんど見当たらなかった。そんなコトバすら存在するのかどうかあやしいくらいだ。デパートだといわれて中に入ったら、粗末な陳列台にポツン、ポツンと商品が置かれていた。もちろん、パソコンなんてあるわけがない。

オレがホームステイした家はハバナ大学の目の前にあった。おそらくキューバでは上流の家庭だろう。初期のテレビと初期の冷蔵庫があった。テレビをつけたらベースボールの試合がやっていたが、画面の乱れがひどすぎたのですぐ消した。シャワーのお湯はもちろんでない。

聞くところによると、食糧に関しては配給制があるらしい。「おれの葉巻を買ってくれ」とつきまとってきたキューバ人は、これを売れれば政府から配給カードがもらえるといっていた。オレはよく吟味して交渉した上、コイバの葉巻を買った(キューバの葉巻は世界一だからね!)。

キューバのお金には2つの種類がある。キューバペソと兌換ペソだ。簡単に云うと、前者がキューバ人用で、後者が観光客用。一般的に観光客はこの兌換ペソを使わなくてはならない。ホテルやタクシーや博物館などでは、兌換ペソでの支払いを求められる。そして、この兌換ペソを使った場合、物価は日本のそれとほとんど変わらないものとなる。ちょうど1ドル=1兌換ペソくらいか。社会主義のシステムはおもしろい。

ではキューバペソの価値はどれくらいかというと、正確にはおぼえていない。でも、バスの値段にしても、ピザ一枚の値段にしても、日本円にしておそらく2円に満たないだろう。教師の平均月収が約20ドルで、医者が約40ドルだといっていた。

だから当然、相当の特別な事情がないかぎり、国外へ出ることはできない。私費ではもちろん無理だし、まず第一に政府がそれを禁じている。

言論の自由はほとんど認められていない。オレがキューバ人にまぎれて買った新聞は、わずか2枚のものだった。「Rebelde(反抗)」という新聞で、昔あった革命のことや資本主義の批判について書かれていた。

世界中で数少ない社会主義を掲げる国として、
北朝鮮とキューバがある。

両者とも完全な社会主義国ではないけれど、中国やベトナムのように多くの外国資本が国内に流入していないという点では似ている。
でも両者はまったく違う。

キューバには、飢えで苦しむ人はおそらくいない。
キューバ人は、教育も医療もベースボールの試合観戦もタダだ。特に医療の水準はかなり高く、毎年ラテンアメリカの各国にボランティアで医師を派遣している。さらに、奨学制度を設けて、毎年ラテンアメリカの各国から将来医者を志す若者をたくさん受け入れてもいる。その中にはアメリカ人もいる。


アメリカが主導権をとったWBCの大会で、
決勝に勝ち上がったのが日本とキューバだったというのは、
政治的にみれば実に象徴的なことである。


どちらもアメリカと密接な関係を持つ国だ。
でも両者はまったく違う。


大国の「正義」に従順しつづける国と
大国の「不正」に抵抗しつづける国


どちらも小さい島国なのに。



(次回へつづく)


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2006.03.22 Wed
「日本の野球」
「いやー正直云うとね、日本が世界一になるなんてイメージできなかったですよ」

と云ったのは イチローだった


アジアラウンド3回戦 韓国
8回にイ・スンヨプの逆転ホームランで勝ちをのがした

決勝ラウンド1回戦 アメリカ  
イチローの先頭打者ホームラン
同点でむかえた タッチアップをめぐる誤審疑惑
そして サヨナラ負け・・・

決勝ラウンド3回戦 韓国
里崎がヒットを打ち 二塁ランナー岩村が本塁を突くも
韓国の手堅い守備にはばまれた
三塁手今江の落球
9回ウラ 西岡が意地の一発をあびせるも
韓国の投手陣にねじ伏せられ
同じ相手に まさかの2連敗・・・

全戦全勝の最小失点で準決勝進出を決め 歓喜する韓国の選手たち
ピッチャーマウンドには 韓国の国旗が立てられた
その光景を ただ黙ってみつめていた 日本の選手たち
たまらず イチローが叫んだ


試合前日 ディズニーランドに行っていたメキシコ代表
アメリカからあげた まさかの勝利

・・・そして 日本代表に奇跡がおこった

アメリカとの明暗を分けたのは 
わずか0.01ほどの失点率の差だった 


準決勝 韓国
緊迫した投手戦 0-0で試合動かず
レフト多村の スーパーキャッチ
7回 松中 執念の二塁打
ヘッドスライディングして おもわずベースをたたいた
多村の送りバント失敗
肝心の場面で「スモールベースボール」ができなかった

代打福留の2ランホームラン ライトスタンドへぶち込んだ
過去のすべてを払拭するような 完璧なスイング

たたみかけるような 日本の攻撃
毎打席起こる イチローへのすさまじいブーイング
アウェイだった
ピッチャー上原の快投
3者連続奪三振
多村のホームラン
最終回 3者三振にうちとり ほえた大塚
日本の完封
日本が同じ相手に 三度負けることは なかった

決勝 キューバ
一回 デッドボールとファーボールで 着実に点を重ねた
今江のタイムリー
ピッチャー松坂の剛腕
力のキューバに 力で勝負した
ショート川崎のダイビングキャッチ
そして 痛恨のエラー
ピッチャー渡辺の まさかの落球
8回ウラ キューバのホームラン
5点あった得点差は 1点差にまで追い詰められた
9回オモテ 川崎 
ホームで相手キャッチャーの完璧なブロックにあいながらも
絶妙のホームイン 「奇跡の右手」とよばれた
日本のイチローが見せた 意地の追加点
大塚がさいごのバッターを三振に討ち取り
WBCはおわった

その瞬間
「ベースボールの世界で、日本の野球が世界の頂点に立ちました!」
とTVのアナウンサーは叫んだ。


―日本の野球―

WBCが始まる以前 「日本の野球」なんてものは なかった
コトバとしてはあったかもしれないが 
実際には 存在したためしがない

「スモールベースボール」
というコトバがある

日本のベースボールスタイルを示すものとしてメディアにとりあげられ
王監督もそれに便乗して 
日本の野球のことを「スモールベースボール」と称した 

しかし
「スモールベースボール」というスタイルを
はじめに提唱したのは 日本人ではない

昨年のメジャーリーグで優勝したホワイトソックスの監督
オジー・ギーエンだ

「ホームランによる得点に依存せず、バントや盗塁などの小技を活かして最小得点差で勝つベースボール」

日本のベースボールスタイルとして用いられた
「スモールベースボール」は
意外にも アメリカによって提唱されたものだった


しかし WBCの試合が重ねられるにつれて
とくに決勝ラウンドに入った頃から

いつのまにか
王監督の会見から「スモールベースボール」というコトバは消え
かわって「日本の野球」というコトバがよく使われるようになった

イチローも「日本の野球」という発言をしていた


WBCが始まる以前
「世界のベースボール」とは 
まちがいなく「アメリカのベースボール」のことだった

世界各国に広まった「世界のベースボール」は
「アメリカのベースボール」を頂点として
「アメリカのベースボール」の中で存在していた

少なくとも 認識の上では

メジャーリーグで活躍するアメリカの選手は
自らのベースボールスタイルのことを
「アメリカン・ベースボール」なんて呼ばない

メジャーリーグの頂点を決める戦いを
「ワールドシリーズ」(世界一決定戦)と名づけているのをみれば
彼らの認識はあきらかだろう


したがって
日本が自らのベースボールスタイルを称して
「スモールベースボール」としたのも
実は「アメリカのベースボール」の借りものであったにすぎないし
その中で位置づけられていたにすぎない


しかし WBCを戦って
「世界のベースボール」=「アメリカのベースボール」
ではないことがあきらかとなった

そこにこそ 今回のWBCの一番の意義がある


日本の野球は
世界のベースボールと戦うことによって
名実ともに「日本の野球」となった

「日本の野球」が生まれた  と云ってもいい


―そんな「日本の野球」が 
     いま 自分の目の前で
         世界の頂点に立とうとしている―


もう  「スモールベースボール」なんて云わせない


ジャパニーズ・ベースボールだ


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2006.03.21 Tue
ぼくの野球史
1934年11月20日 静岡県草薙球場
その日 一つの伝説が生まれた

9戦9敗の惨敗でむかえた日米野球第10戦
全日本は全米に0-1で惜敗する

ルー・ゲーリックやベーブ・ルースをそろえたメジャーリーグ選抜を9奪三振5安打1失点でおさえたのは 若干17歳の若者だった

沢村栄治

日本の「野球」が
世界の「ベースボール」と本気で戦い
あと一歩まで追いつめた日

「スクールボーイ・サワムラ」と呼ばれ アメリカを唸らせた沢村

当時
世界のベースボールは アメリカのベースボールだった



2006年3月21日 米サンディエゴ州ペトコパークスタジアム
その日 もう一つの伝説が生まれた

いや
もうひとつの伝説
と云うにはあまりにもひかえめな

Legend of the Legend
(レジェンド・オブ・ザ・レジェンド)

日本の「野球」が
世界の「ベースボール」と本気で戦い
世界の頂点をきわめた日

「イチロー」と呼ばれ 世界を轟かせた鈴木一朗



そして 何よりも圧巻だったのは

試合が終わったあと
キューバの選手たちと日本の選手たちが1列になって
握手していた場面

胸がすく思いだった

ぼくの野球史上
これ以上の光景を

ぼくは知らない


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2006.03.20 Mon
決戦前夜
WBCが始まる前、あるTV局のインタヴューで、たしかイチローはこんなことを言っていた。


「正直なはなし、ぼろ負けする可能性だってあるんですよ」

「でも、それもいいじゃないですか」

「野球ってね、自分で負けを認めるのがすごく難しいスポーツなんですよ」

「ぼくは基本的に強い人間なんていないと思っているんですよ」

「自分の弱さを認めることからしか強くはなれないと思っているので」


あの時イチローが「ぼろ負けする」相手として思い描いていたのは おそらくアメリカであったろう
少なくとも 韓国ではなかった

しかし
その韓国にまさかの2連敗・・・


「不愉快でしたね」

「ぼくの野球人生の中で最も屈辱的な日」


「スモールベースボール」を自負していた日本は、
世界にはさらに徹底した「スモールベースボール」をやる国が存在することをおもいしらされた

そして
絶望的な想いで「負け」を認めたあとの


―奇跡―

―三度目の正直―


イチローの言う
「負け」を認めることからひとまわり「強く」なったところに
きっといまの日本代表はある


でも
「スモールベースボール」だけでは
絶対に世界一にはなれない

かといって
「ワイルドベースボール」だけでもだめだ
アメリカやドミニカがそうであったように


そういえば・・・
ちょうど1年前の今日
オレはキューバにいた

おそらく日本へ帰国する日だったろう
空港へ向かうタクシーの運転手と野球のはなしで盛り上がっていた
彼らはほんとに陽気だ
こちらに相づちを打たせる間も与えず
少し興奮したちょうしで、でもとても楽しそうに話していた

つい数ヶ月前にアテネ五輪が終わったばかりで
そこでキューバは優勝し
予選でキューバに勝った日本は 終わってみれば4位という結果だった

 
日本はほんとに「強い(fuerte)」。しかも「キレイ(bonito)」で「イイ(bueno)」ベースボールをする。ミスが少ないし、すばらしいピッチャーはいるし。でも打線が足りない。キューバだったら、いい守備をする選手といいバッティングをする選手とがメンバー争いをしていたら、絶対に打てる選手を選ぶよ。だって、打たないでどうやって勝つの!点入れないと絶対に勝てないよ!でしょ?!


点を入れないと絶対に勝てない・・・

あたりまえのことだ

どんなに「キレイ」で「イイ」プレーをしたとしても
それだけでは決して十分ではないし

「強い」チームが必ずしも勝つとも限らない


スモールベースボールだけでは
ぜったいに
世界一にはなれない


点を入れなければぜったいに勝てない


それはたしかなことだ
きっと


つよい陽射しと快い青空の下で
ちょうど1年前の今日

オレは同じようなことを考えていた気がする


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